2023年3月1日水曜日

超難関国立大 世界史問題

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ずっと関わってきた首都圏の超難関国立大の世界史の問題を、昨日卒業式後に聞いた。なんと第2問はアフリカの問題で、モザンビークとジンバブエのOAU参加が遅れた理由についてだった。これを検討するのは何の意味もなさそうだけれど、私個人の「学び」としてエントリーしておきたい。ものすごく簡単にいってしまうと、ポルトガルを宗主国とするモザンビークは、ポルトガルがなかなか植民地全体を手放さなかったので独立が遅れたこと、その後の内戦もあってさらに遅れたのではと受験生だった生徒に伝えた。ジンバブエもローデシアとして南ア同様の白人支配が続き、ムガベが政権をとったけれど遅れたのではないかと、あまり正確でない回答をしたのだが、果たして合っているだろうか。

OAUは現在のAUの前身で、1963年に設立されている。1960年が「アフリカの年」で各地で独立が相次いだ。前述のようにモザンビークが独立したのが1975年。内戦が終了したのが1992年。ジンバブエの白人政権崩壊が1980年である。大まかに言って、私の直感的回答は正しかったようだ。ここに、モザンビークではソ連の社会主義路線、ジンバブエでは南アのアパルトヘイト政策などが絡むはず。(モザンビークもジンバブエも近隣の大国・南アとの関係を抜きには語れない。)いろいろ(日本語の検索のみ)調べたが、この両国のOAU参加年はわからなかった。1991年にアパルトヘイトが廃止宣言されたのが1991年。このような関連性の中で回答を構成していくことになるのではないか、と思う。まあ、大まかには合っていると思う。それにしても、私の大嫌いな年号は受験では大切であることを再認識した次第。

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