2022年12月1日木曜日

伊藤博文の英語力

中公新書の「伊藤博文」(瀧井一博著)を先日、「お金で読み解く明治維新」と一緒に市立図書館で借りてきた。ビッグネームなわりに私は詳しくない。憲法制定を推進し、初代総理大臣なわりに、「哲学なき政略家」「思想なき現実主義者」という評判もあり、維新の三傑の次世代故に軽んじていた面も正直あるからだ。

今日のエントリーは、読み始めてすぐなので、長州ファイブとして英国留学しながら、四国艦隊との攘夷戦を知り、たった半年で帰国した。それゆえにテクノクラートではなく、長州藩の外交担当となり出世していくのだが、素朴な疑問であるが、伊藤の英語力や如何?

吉田松陰の伊藤評は「周旋家」の才を認めながら、学力に関してはもうひとつ評価していない。だが、英語力はコミュニケーション力によるところが大きい。伊藤は、このコミュニケーション力に優れていたようで、以前下宿していた夫人に訪英中に手紙さえ書いている。要するに、ブロークンであっても意思疎通は十分できるほどに、半年で上達していたようだ。四国艦隊との和平折衝時も高杉晋作について通訳として活躍しているし、岩倉使節団でもサンフランシスコで岩倉の代理でスピーチもしている。私も経験があるが、意外にブロークンであっても大人のネイティブは喜んでくれる。もちろん、会話力だけでなく、徳富蘇峰にトルストイの「復活」が刊行されたことを伝えたり、津田梅子に米国理解のために読むべき本として「アメリカのデモクラシー」を渡したりと、英語の図書をよく読んでいたらしい。読解力も鍛えていたことはたしかだ。また、伊藤の英文の外交文書も残っているが、著者によると複雑な言い回しはしていないが、伝えたいことを実直に、また丁寧に記しているらしい。

博文という名前は、高杉晋作が論語の「君子博学於文」(君子は博く文を学び)からつけたらしい。この名の通り、知識を得ることによって身分や藩という所与の狭い秩序を超越したのである。まさに「知は力」であるわけだ。

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