2022年12月7日水曜日

ディアスポラの原因

http://kaiga-date.com/david-goliath
「逆説の世界史2」の備忘録の続きである。前回は第1次ユダヤ戦争の話で終わった。今回は第2次ユダヤ戦争について。マサダ砦の陥落から60年後、エルサレムを訪問した、ハドリアヌス帝が善意の同情からエルサレム再建を約束した。しかし、一神教を理解するに及ばなかったハドリアヌス帝は、名前を変え、神殿も多神教のユピテル神殿とすることにした。これはユダヤ民族にとって到底容認できない状況であった。その頃、自らをメシアであると主張するコシェバという男が現れ、当時の民族信仰指導者ラビのアキバ・ベン・ヨセフが正しい主張と認めた。コシェバは救世主らしく名を「星の子」(バル・コクバ)と改め、ローマへの反乱を最高法院で承認された。紀元132年の出来事で、約4年間独立を保持した。これは、ローマ帝国側が全く想定していなかった反乱だったからで、一神教の信仰心を甘く見ていたためだとされている。

この反乱の原因に、割礼の禁止令が出たということも大きい。創世記にある、この神の命令は、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷、外国から買い取った奴隷も皆生後8日目に割礼を受けなければならないとされている。この割礼禁止令は、神の命令に背くことを意味する故に、ユピテル神殿の建設と同等かそれ以上の反発を招いたわけだ。

この第2次ユダヤ戦争後、ローマは、エルサレムを「アエリア・カピトリナ」(アエリアはハドリアヌス帝の名のアエリウス+ローマの最高神ユピテルの神殿名)と改名し、第二神殿をユピテル神殿に改築、属州の名をユダヤから「パレスチナ」(ペリシテ人の土地)とした。このパレスチナという地名はローマの悪意に満ちている。ペリシテ人はユダヤ人の今はなきライバル民族で、ダビデが石のつぶてでペリシテ人の巨人兵ゴリアテを倒したとされている。(旧約聖書のサムエル記)しかも、ユダヤ人は、この地に在住してはならないし、訪問も許されないこととした。ディアスポラの始まりである。

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