2022年12月15日木曜日

東大世界史 1988

 市立図書館で、「逆説の世界史2」とともに「夢中になる東大世界史ー15の良問に学ぶ世界の成り立ち」(福村国春/光文社新書)を借りてきた。通勤の車中で読んでいたのだが、東大の世界史の問題は実に深い。東大の問題は暗記した知識を求めるだけでなく、その知識をもとに新しいことに気づかせようとするというポリシーがあるようだ。また、元々官僚養成が目的だっただけに、常に「国家」を主題にしている。

問題(1988年)欧米において近代市民社会が形成されるにあたり、17世紀から19世紀初期にかけて、様々な変革が生じたが、それらの変革の様相は地域によってそれぞれ異なっていた。そこで、イギリス、アメリカ、フランス、プロイセンの4つについて、以下の設問(A)、(B)の設問にそれぞれ300字以内で答えよ。

(A)イギリス革命(ピューリタン革命および名誉革命)とフランス革命に関し、革命を引き起こした原因と、革命がめざした目標とについて両革命を比較し、それぞれの革命の特色を述べよ。さらに、19世紀初頭のプロイセンの改革の特色と思われる点を指摘せよ。(B)アメリカ独立革命に関し、ヨーロッパにおける諸変革と比較を念頭において、アメリカの場合の特色と思われる点を述べよ。

…実に興味深い設問である。ポイントとなるのは、イギリスの革命は、エリザベス1世の後継としてスコットランド王が議会に呼ばれたが、13世紀のジョン王以来の「暗黙の了解:国王といえど法の下にあり、議会の意見を聞くこと」が守られなかったことへの反発である。このイギリス革命は、他の市民革命に比べて、国際的な影響が見られないことである。フランス革命は、「フランスという国家はどうあるべきか」が問われた革命で、財政問題に端を発し、富裕層、中流層、貧困層の全ての階級が一度は革命を主導して「フランスはかく有るべき」としてそれぞれの憲法を制定したが、どれもうまくいかなかった。革命は国王の処刑以後各国の干渉にさらされたが、ナポレオンの登場で、反対に各国へ自由・平等の概念の輸出が行われたが、結局皇帝になったナポレオンは独裁者・侵略者でしかなかった。しかし、19世紀のヨーロッパの自由を求める運動や、ラテンアメリカの独立運動に大きく影響を受けた。

アメリカの独立革命は、フレンチ・インディアアン戦争の戦費を植民地から搾取しようとしたところから始まる。覇権を握るイギリスの足を引っ張るべく、フランスなどの国が支援に回った。革命の担い手は、植民地の商工業者。搾取からの脱却、独立と自由平等が保証された政府の樹立が目標である。これは、フランス革命との共通点で、普遍性を持つ。

解答(A)英革命の原因はステュアート朝の国王による議会を無視した専制政治であった。目標は王権に対する議会の優越を規定することであり、立憲君主政の樹立に至った。これは英人固有のコモン・ローの回復を目指すもので、理念に特殊性があった。仏革命の原因は財政問題に端を発した、旧制度で認められた免税特権に対する一般市民の反発であった。目標は自由・平等の上に立つ政府の樹立であり、立憲君主制を経て共和政の樹立に至った。これは人間一般の解放を目指すもので、理念に普遍性があった。普改革の原因はナポレオンの支配であり、目標は支配からの解放である。担い手は開明的な官僚・軍人であり「上からの近代化」という性格をもった。(300字)(B)米革命の原因は、英重商主義政策への反発であった。目標は独立と自由・平等の上に立つ政府の樹立であり、共和国の樹立に至った。仏革命と同様に理念に普遍性があったが、市民革命のみならず独立戦争という性格が含んでいたところに違いがあった。英革命が内乱にとどまり:、仏革命が国際戦争に発展したのに対し、米革命も当初は英帝国内の内乱であったのが外国の参戦によって国際戦争へと発展した。だが、仏革命と異なり外国の干渉はなく支援であった。英革命の影響が小さいものにとどまったのに対し、米革命は仏革命と19世紀の自由主義運動に影響を与え、さらにラテンアメリカ諸国の独立運動にも波及して、影響は大きなものになった。(300字)

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