ディエンビエンフーの記念館 https://4travel.jp/travelogue/11500449 |
問題 ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀に入ると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立する。しかしその後も、旧宗主国への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は540字以内で、次の8つの語句を必ず一度は用いること。 カシミール紛争 ディエンビエンフー スエズ運河国有化 アルジェリア戦争 ワフド党 ドイモイ 非暴力・不服従 宗教的標章法
…イギリスとインド(カシミール紛争/非暴力・不服従)、イギリスとエジプト(スエズ運河国有化/ワフド党)、フランスとベトナム(ディエンビエンフー/ドイモイ)、フランスとアルジェリア(アルジェリア戦争/宗教的標章法)の問題であることは語句を見てわかりやすいが、植民地政策と独立時、その後の展開を書けばいいわけだ。この問題のポイントは、イギリスは、インドの独立は比較的早く認めたが、スエズ運河のあるエジプトには、イスラエルを巻き込んでスエズ動乱を起こしている。同様に、フランスは、ディエンビエンフー陥落で早々とベトナム支配を諦めたが、アルジェリアには固執したことになる。
解答 イギリスはインドを分割統治で支配、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分断を図った。ガンディーを中心に非暴力・不服従運動が展開されたが、両教徒は対立を深め、インド、パキスタンとして独立した。両国の対立はカシミール紛争に発展した。イギリスはインドの中継地点としてエジプトを支配した。第一次世界大戦後、ワフド党による民族運動を受けて独立を承認したが、スエズ運河の駐兵権は保留された。スエズ運河国有化を契機として、イギリスはイスラエルを支援して第二次中東戦争を引き起こしたが、敗北してスエズより撤退した。フランスはベトナムを支配したが、第二次世界大戦後にベトナムは独立を宣言した。フランスは再支配を狙ってインドシナ戦争を引き起こしたが、ディエンビエンフーが陥落してベトナムが勝利すると独立は承認された。だが、冷戦の影響で国家は分断されるとベトナム戦争が勃発。戦後、社会主義国として完全独立を果たし、ドイモイによる改革開放政策が行われた。フランスは、アルジェリアを同国文化を強制する同化政策を展開して支配した。アルジェリア戦争によって独立が達成されたが、フランスとの文化的結びつきは移民を増加させ、宗教的標章法などイスラム教徒の扱いをめぐる社会問題に発展した。
0 件のコメント:
コメントを投稿