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ところで、キリスト教徒にとって、ユダヤ教徒は差別の対象になっているが、その主因は「マタイの福音書」にある、ピラトにイエスの死刑を要求する場面で「その血の責任は、我々とその子孫にある。」と民がこぞって言ったというところにあるのは周知の事実であある。著者は、それ以外のマルコ・ルカ・ヨハネの福音書には、この文言はないことを記し、マタイ以外の証言者が騒乱の中で聞き取れなかった可能性はあるものの、(もし中世のスペインあたりで、こんなことを口にしたら間違いなく死刑だろうが)子孫にまで云々という言質は常識的に信じられないとしている。
これに関連して、ルネサンス期の傑作、ミケランジェロの「ダビデ像」は、ペリシテ人の巨人ゴリアテを倒したダビデ王の少年時代の像なのだが、男性期には割礼の跡がないそうだ。ユダヤ教を「旧約」として認めながらも、当時、亡国の民であったユダヤ人への差別意識が垣間見えるというわけで、興味深い蘊蓄である。…今日はここまで。
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