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https://www.youtube.com/watchv=0djLFfZeTeY&ab_ch annel=%E6%9D%B1%E5%A4%A7TV%2FUTokyoTV |
2022年7月31日日曜日
東大の「民主主義」講座
昭和の欲望機械
ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オィディプス』の用語で「欲望機械」というのがある。まあ、平たく言えば人間のことなのだが、語感が強烈である。生産年齢ギリギリになった今となっては、少欲知足で、パンナコッタ(6月29日付ブログ参照)をちょっと口にするとか、あわしま堂(7月21日付ブログ参照)のわらび餅が食べたいとかくらいの話なのだが、若い頃はやはり「欲望機械」であったと思う。
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https://www.mac-paradise.com/htmls/1100000066491-9.html |
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https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17340602 |
2022年7月29日金曜日
民主主義の問題とはなにか?
チャーチルの有名な言。「これまでも多くの政治形態が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にもできない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態という事ができる。これまでに試みられてきた民主主義以外の政治形態を除けば、だが。」イギリス人らしいアイロニーに満ちた表現で、さすがノーベル文学賞受賞者ともいえるが…。
民主主義は、ギリシアの民主政以来、衆愚政治に陥る危険性がある。ロックが抵抗権を唱え、ルソーが特殊意思ではく一般意志を唱えても、民主主義にはポピュリズムの罠が常に潜んでいるし、議論に時間がかかるというマイナス面もある。また、民主主義のパートナーとして表現の自由が保障されたマスコミが必要だが、このところ完全に信用を失っている。
最近、あまり話題に出したくない、醜悪な政治的暴露が多い。あのアメリカ大統領選挙以来、何を信用していいのかという不信感が生まれたし、プロパガンダ合戦の様相が、あらゆる情報にあらわれている気がする。小論文指導で、今日は生徒とそんな話をしていたのだった。憲法改正案について課題を出していたのだが、今週はいろいろな疑惑が出てきて実際大学側も出題しにくい状況になっている。幸い、時事問題にも精通している生徒なので、共感しながら話が弾んだ。3時間半ほど、私も充実した時間を過ごせたのだった。
2022年7月28日木曜日
アフリカの貧困&繁栄ポルノ
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https://ascii.jp/elem/000/001/677/1677692/ |
ヨソモノは、アフリカ大陸の市場をずっと無視してきた。援助の流入や「貧困ポルノ」(注目や寄付金を集めるために、貧困を材料にして同情を呼ぶような形で仕立てたメディア)がアフリカにはカネがないと刷り込んでいる。経済学者たちは、上から目線で人口あたりのGDPや変動する金利、援助まみれの政府予算といった気の滅入るマクロ経済指標にばかり注目する。…湾曲的に「政治リスク」と呼ばれるものに対する恐怖は誇張されすぎだ。クーデターや強制収容、その他開発途上国で起こり得る事業について投資家に補償を行う世界銀行の多数国間投資保証機関(MIGA)は、過去25年間でたったの6回しか支払いを行っていない。しかもアフリカはそのうち2回だけだ。
「貧困ポルノ」どころか「繁栄ポルノ」のような事実がある。BRICsを含めた世界の開発途上国地域より高い投資利益率を誇っている。世界で最も急速な経済成長を遂げている国の上位10カ国のうち、7カ国がアフリカに位置する。国連のポスターに映し出されたホコリまみれの足の向こうで、アフリカの中流階級は好景気に沸いている。…アフリカ開発銀行は、BOP(最貧困層)を底辺とするピラミッドの中程に位置する人々が3億5000万人はいると推計している。1日$2という貧困指標の10倍稼ぐ人々がアメリカの人口と同じくらいいるえわけだ。だからといって「太った国」の中流階級と同じようなものではない。(映画や輸入菓子、高性能な携帯電話といった小さな贅沢を楽しみ、ケーブルテレビや家庭用バソコン、我が子を質の高い私立学校に通わせると言った感じである。)これまでのアフリカについてよく聞かれていたような話た統計がもはやあてはまらなくなっているのは事実だ。ーもっと今までもあてはまっていたかどうかも怪しい。
「1人あたりのGDPが低いということは、ナイジェリア人は携帯電話は買えないはずです。でもナイジェリアには6000万人以上の契約者がいるのです。明らかにつじつまが合いませんよね。」とプライベート・ファンドのマネージャーR氏の言。
…これには少し注釈がいる。アフリカの携帯・スマホは、ほとんどが中国・深センなどで作られており、アフリカ人バイヤーの手で輸入されている格安のものが多い。アメリカ等の技術を盗み製品化しているという噂が絶えない。安かろう・悪かろうであるのは確かだ。日進月歩しているだろうが…。だからといって、アフリカ人をせめているわけではない。そういう世界があるわけだ。先日、そういった中国製の激安PCを詳細に点検するYou Tubeを見ていた。スペックなどの解説では、「ゴミ」扱いしていたのだが、きっとアフリカでは重宝されているのだろうと思う。多少遅くても動けばいいというスタンスだと思うのだ。きっと彼らは「太った国」の人間よりうまく使うはずだ。
2022年7月27日水曜日
大谷翔平選手のトレードを望む
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https://tmbi-joho.com/2018/01/19/dodgers-origin/ |
大谷選手のエンゼルスは、投手陣の不調で監督が解任され、ほぼポストシーズンは絶望的らしい。オーナーもGMも、監督代行もあまり印象が良くない。大谷選手が入団した時のGMは解任され、今はNYメッツにいるそうだ。高校時代に濃厚に接触したスカウトは、LAドジャーズにいるらしい。アメリカンリーグもナショナルリーグも、今季からDA制になっている。細かな相性(DHにいい選手がいるとかいないとか、先発投手の状況など)はあるだろうが、このメッツとドジャーズが有力らしい。他にもヤンキースとかいろいろ候補が上がっているけれど…。
ただ、問題はFAではないので、大谷選手がどこに行き方かろうと、エンゼルス球団の判断で決定される。まさに選手は、商品なのである。ここにきて、エンゼルスはトレードしないだろうという予想が強まっている。理由はいろいろあるのだろうが、観客動員数が凄いことは大きいだろう。大谷選手を見るために、スタジアムに足を運ぶファンが多く、それはアトランタでも同じ、カンザスシティでも同じ。ましてフランチャイズは、ドル箱だからだ。
だが、本人の事を考えると、是非トレードで出て、もっと野球を楽しんで欲しいと思う。本人は、どういう状況であれベストをつくすだけというサムライスピリットで頑張ってくれている。今日も21号をセンター方向に打ち込んでくれたし、四球でもバットを大切に起き、手袋等を脱いで、バットボーイに礼を言いながら手渡すといった仕草だけでも彼を見に行く勝ちがあると思う。
私などはドジャーズに行ってほしい。理由は、ドジャーズのユニフォームが一番似合うだろうと思うといったしょうもない理由なのだけれど…。
悪意ある外国人との共生考
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https://mesomablog.com/5414.html |
かなり高い確率で、外国人であるという推察ができる。5月17日付ブログで記したが、中国共産党の国民動員法による工作活動だと見るとのが最も適当だろう。
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https://mesomablog.com/5414.html |
私はESD(持続可能な開発のための教育)の徒であり、異文化理解や共生についてかなり学んできた。異文化理解や共生は可能だと思っている。また、マレーシアの留学生とともに学び留学を応援してきた。
ただし、それは「反日」というゼロ記号を振り回し、悪意を持っている外国人との共生まで含むものではない。昨日も記したが、歴史認識問題を結局おざなりにしてきたツケがここまで悪化させてきたと思う。もう、戦後教育の行ってきた一億総懺悔を脱していかなくてはならない時期にあるように思う。
2022年7月26日火曜日
敗戦国としての日本論3題
2022年7月25日月曜日
靖国神社の現在地
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https://times.abema.tv/articles/-/8656480 |
靖国神社は、ペリー来航以来の事変・戦争・国事に殉じた戦没者を「英霊」として祀る神社である。吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、橋本左内らの志士、乃木希典、東郷平八郎らの軍人、八甲田山行軍事件の遭難者、西南戦争・日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争の戦死者など246万柱が祀られている。西郷や江藤新平、前原一誠ら反乱者は祀られていない。となると、ここで、ちょっと疑問。この本に「朝廷守護にあたった会津藩士たち」とあるのだが、会津藩士で、蛤御門の変で戦死していたら英霊?。(ならば、久坂玄瑞はどちら?正四位が送られているから英霊かな。そんなこといったら西郷もかなり後だが正三位。息子は侯爵になっている。)それ以上にややこしいのは、戊辰の会津戦争で新政府軍と戦い戦死したものは非英霊?。会津戦争の生き残りで、西南戦争に参戦し倒れた者は英霊?という具合で、なかなかグレーな印象があるのである。それこそ、この本のタイトル『国家と私の行方』である。
1979年4月、ここに東京裁判のA級戦犯のうち有罪判決を受けた14名が、第六代宮司・松平永芳(松平春嶽の直系の孫にあたる)によって合祀された。死刑になった東條英機・広田弘毅・土肥原賢二・板垣征四郎・木村兵太郎・松井石根・武藤章の7名と、刑期中病死した平沼騏一郎・白鳥敏夫・小磯国昭・梅津美治郎・東郷茂徳と判決前に病死した水野修身・松岡洋右の7名である。このうち、広田・平沼・白鳥・東郷・松岡は軍人ではないので例外的である。「昭和の殉教者」として彼ら14人は合祀された。ちなみにB級・C級戦犯も死刑になった者は合祀されている。
さて、歴史認識問題として見ると、合祀されて以降、昭和天皇は親拝をやめられた。(毎年親拝されていたわけではなく合祀3年前の1975年が最後)合祀後6年間ほど、大平・鈴木・中曽根首相らが参拝していたが、1985年7月、中国政府(天安門事件の1年前なので鄧小平時代)が公式に非難した。「朝日新聞の報道があったためともいわれる。」と松岡は書いている。…なるほどである。鄧小平のカンはするどい。チャンスを見逃さなかったわけだ。
さて、靖国問題の10の議論軸が記されている。①憲法28条が保証している信教の自由から見れば、そもそも誰が参拝してもおかしくないという議論。②靖国が国家の公的な慰霊施設だとすると、玉串奉納などの祭祀にかかわる寄付・奉納を政府関係者や地方自治体がしてもいいのかという議論。つまりは政教分離に抵触するのではないかという議論。③靖国は戦死者を英霊として崇め戦争を肯定しているのだから、公的人物が参拝することは靖国神社のもつ歴史観を追認していることになるのではないかという、中国が主張している議論。④東京裁判が国際的に確定した戦犯判決を、無視あるいは軽視しているのではないかという議論・⑤日中戦争などの犠牲者の心情を逆なでしているという議論⑥日本国家として、日本の軍人と軍属者たちの戦死を慰霊するべき設定ができていないのではないかという議論。⑦A級戦犯は28名が起訴され、有罪宣告されたのは25名。生きて釈放されて復職してその後に死去した者、病死・絞首刑をされて遺体となった者がいる。これらから靖国神社が14名を選定したからと言って、日本国として殉教者を規定する基準とならないのではないかという議論。⑧神道の儀式や祭祀として戦死者・戦没者を祀ること自体が妥当なのかという議論⑨公人と私人によって参拝を区別できるのかという議論、私人の場合に公用車や側近や護衛官をつけるのはおかしいという議論。⑩天皇の靖国参拝はA級戦犯の合祀の後には行われていない、では天皇はこの英霊たちにどのような慰霊をされるのかという議論。
松岡は、これらを1つの整合性に持っていくのはほぼ不可能だと述べている。それは、日本の戦争責任をどこまで問えるのかという問題が待ち構えていて、それは日本だけが抱えている問題ではなく、20世紀が残した最大の難問でもあると。ハーバーマスの弟子だったハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を見聞して、「アイヒマンに戦争責任があるとすれば、それは残忍であったことにあるのではなく、むしろ凡庸であったことにあるのだろう」と『イェルサレムのアイヒマン』に感想を書いているとか。これは安易に日本にあてはまるものではない、そこが歴史認識問題の難しさであるとも。
…靖国問題について思うところを記しておきたい。まずは一般の遺族・国民の視点:靖国神社に軍人の英霊が祀られていることを良しとするのなら、信教の自由である故に何も問題はない。もっと言えば、公人とされる者も同様だと思う。ただ、私人として行くのなら、玉串料や公用車等は不要。警護もポケットマネーで行なうべきだろう。国家が特定の宗教を護らないという憲法の政教分離は貫かねばならない。靖国参拝=戦争の賛美であるという視点は、グローバル・スタンダードにはあたらない。各国にはそういう施設がある。私はアーリントン墓地や人民英雄記念碑しか実際に見ていないが、靖国をそういう場所だと見ればおかしくはない。ただ、境内にある記念館はそういう批判を助長するものだと思う。わざわざ境内に置く必要はないと思う。最大の問題は、神道以外の信仰を持つ者も英霊として祀ることへの疑義がある。当時は国家神道故問題はなかったのだろうが、(このようなことはないことを祈るが)これから英霊が生じたとしても、それは各人の自由意志に従うべきだ。続いて、東京裁判のA級戦犯合祀について。東京裁判自体がプロパガンダ、政治ショーである意味合いが強いので問題ない、と言いたいところだが、昭和天皇が激しく忌避されているところから、この合祀が果たして正義なのかという疑義をもつ。広田など民間人もわざわざ合祀していることにも納得できない。さらに、亀ヶ淵にある国立戦没者墓苑を靖国の代わりにという議論もあるが、これは民間人も含む戦没者の遺骨を安置している場所である。上皇陛下が太平洋の島々を慰霊に回られ、その際拾骨されたものも入っているだろう。英霊をここにという議論は少し無理があるように思う。だが空襲で犠牲になった方々も軍人も同じ戦没者である。公人は有効活用をしてほしいところだ。最後に、歴史認識問題だが、中国や隣国は、この歴史問題をゼロ記号と捉えており、プロパガンダや経済的利益強奪の温床だと考えているフシがある。様々な歴史認識問題が生み出した悪弊の事実がが判明した今、毅然とした態度で望むべきではないか。ほんと、日本は世界中で最も謝り続けている国であると思う。
この日本的敗北感が、次のテーマである。
2022年7月24日日曜日
アンチ・オィディプスの現代
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http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-680.html |
ミシェル・アルベールの「資本主義対資本主義」が最も有名で、①アングロサクソン型資本主義(短期的な視野で意思決定と個人主義を重視する英米型)②ライン型資本主義(集団的で中期的な視野による日独型)③合成型資本主義(それらの組み合わせ型)という分類である。ブルーノ・アブーブルの「五つの資本主義」は比較制度分析によるもう少し厳密な分類で、①「市場ベース型」②「社会民主主義型」③「大陸欧州型」④「地中海型」⑤「アジア型」という分類で、①の「市場ベース型」が新自由主義にあたる。
粗雑な飛白で皮肉が効いているのが、ハムデンターナーとトロンペナールスの「七つの資本主義」で、①イギリスの資本主義(合理性を押し付ける資本主義+ジェントルマン資本主義+ボランティア資本主義の合体)②アメリカの資本主義(勝利に酔うための神話的資本主義)③フランス(気分によって変わる資本主義)④ドイツの資本主義(差異を普遍で超えたがる資本主義)⑤オランダ(個人と社会の対立っを調整する資本主義)⑥スウェーデン(社会品質をつくりたがる資本主義)⑦日本(強力しながら競争する矛盾した資本主義)となっている。これが一番面白い。
松岡は、会計制度はグローバル・ルールにしておいて、その運用は各国各民族がお国柄を発揮しているのなら文化人類学的である。(すなわち文化である。)だが、その分析・分類の結果優秀な資本主義システムを他国に押し付けることはしてなはらない、なぜなら文化は他国に押し付けるものではないと言っている。
そもそも資本主義のモデルは、イギリスで(奴隷貿易やアヘン戦争の)三角貿易と「みんなが合理的な進歩を望んでいる」という社会ダーウィニズムである。そこにアメリカが得意な「プレイヤーが勝ち残るための優勝劣敗のシナリオ」が加わって、新植民地主義を新たな市場にしてグローバルに広がっていった。しかし、サッチャリズムやレーガノミクスに代表される「勝つためだけの資本主義」が戦果の後に吐き出していったものには回復し難い問題や取り返しがつかない問題が残滓してしまう懸念があると。
その内容を、ダニエル・ベルの「資本主義の文化的矛盾」で整理している。
①解決不可能の問題だけを問題にしている病気②議会政治がゆきづまるから議会政治をするという病気③公共暴力を取り締まれば私的暴力が増えていく病気④地域を平等化すると地域格差の対立が起こっていく病気⑤人種間と部族間の対立が起こっていく病気⑥知識階級が知識から阻害されていくという病気⑦いったんうけた戦争の屈辱が忘れられなくなる病気
ベルは資本主義そのものを批判したわけではなかったが、ボードリヤールは「消費社会の神話と構造」などの著書で、市場における価値の等価な交換なんてとっくになくなっているのではないかと指摘した。市場でどんなにモノの価値が需給バランスをとろうとも、それとは別の金融資本が動いているから、市場で交換されるのは本物の価値ではなくなっているということである。さらに、「生産と消費がシステム自体の存続のために食われてしまっている」と指摘した。銀行や百貨店の統合などがその例で、どんな企業でもどんな団体でも勝ち残るためには「構造的な窮乏感」を演出することだけがシステムの活性化を促すたった1つの手段になっているということになる。
前述(17日付ブログ参照)のドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オィディプス』で機械と欲望とが、資本主義と分裂症とが、それぞれ分かちがたく渾然一体となっているという『くっつきすぎる矛盾』が現実化しているわけだ。
ゲーム理論と米国資本主義
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https://www.pokerdou.com/column/nash-equilibrium-1/ |
2022年7月23日土曜日
安易な中心 ヴィルヘルム2世
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ビクトリア女王とヴィルヘルム2世 https://bokete.jp/odai/tag/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3% 83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A02%E4%B8%96 |
第4に、世界も社会も「私」も、安易な「中心」をもつべきではないということ。そんなことをするから中心どうしが闘い合うことになる。
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https://blog.goo.ne.jp/taitouku19/e/44767764f8cda13b94f41bb206db375c |
2022年7月22日金曜日
20世紀哲学と文学の暗示
スペンサーの社会進化論
スペンサーの社会進化論は、1859年のダーウィンの「種の起源」が発表され、彼の進化生物学の影響のもと形成されていく。まず「社会静学」で社会有機体説という仮説をたて、「科学の起源」「心理学原論」で精神や文化にも進化がありうると説く。社会の進化や文化の進化には、「異質」が生じることによって起こる。同質的な社会から異質なものが出てきた時、それを総合的に捉えさえすれば、必ず進化が確立されると見たわけである。
…そもそも私が、倫理の授業でスペンサーやコントを重視しないのは、西洋哲学の木という学習プランの周縁に位置すると考えていたからである。変に寄り道せず、ヘーゲルから現代思想、構造主義・ポスト構造主義と学習を進めるほうがわかりやすいからである。
19世紀後半の世界史は、進歩史観がたしかに基盤にある。ちなみに現在にもそれは永続しているように思われる。かの1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。こういった進歩への無知のベール的な信頼に対し松岡正剛は疑義を挟む。『ダーウィニズムもマルクス主義も社会ダーウィニズムも、不均衡なシステムの割れ目にこそ生じていくからいいのではないかと思います。むろんそのヴィジョンや方法が当初は世界に広がる可能性をもつというふうに語ることは必要なことでしょうが、しかしながら、そのことと、その思想が世界を覆って人々の信念を牛耳るということは、全く別なことなんですね。』
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、帝国主義列強は世界の84%を支配した。この背景には工業力があり、鉄鋼の生産力が軍事力や国力を押し上げた。20世紀初頭の工業力は、100年前と比べてイギリスは2倍、アメリカは3倍、ドイツは4倍。(ちなみにロシアは9倍。:これらは元の数値との比較である。)肥料・染料・薬品・プラスチック化合物などの多くはイギリス以外の国で技術開発された。パクス・ブリタニカの危機であった。ヨーロッパの人口は異常に膨れ上がり(2億人から4.5億人)、国境をまたいで人口移動が起こった(4000万人がアメリカ、オーストラリアや南米に700万人が移住)のも20世紀初頭の特徴で、これらはジャガイモの普及による人口支持率の上昇と医療の発達によるものと言われる。やがて、アメリカとドイツがイギリスを抜き去るのである。
これら流れの根底に、進化論的な「自然淘汰」から「優生学」があり、そして「ドイツ帝国は世界帝国となる」と宣言したヴィルヘルム2世の「黄禍論」と発展した。3B政策と3C政策が取られ、やがてオスマン・トルコでの英独の衝突=WWⅠとなるわけだ。
こうしてみると、スペンサーの社会進化論は、たしかに大きな存在ではある。でもやはり倫理で教えにくいのは確かだ。(笑)
2022年7月21日木曜日
思慕 あわしま堂のわらび餅
夏の楽しみの一つに冷やした「わらび餅」がある。三崎にいた時、買い物ついでに必ず買って夫婦で分け合って食べていた。「一杯のかけそば」ならぬ「わらび餅」である。まあ、安いものが多かったが、時々贅沢して、あわしま堂のわらび餅を買うこともあった。このわらびもちが最高である。食感といい、きなこといい、絶品である。
あわしま堂は八幡浜市に本社工場を構える和菓子(洋菓子もつくっている)会社である。よくその横を車で走ったものだ。何度か直売所にも寄ったことがある。
大阪に帰って、わらびもちを当然ながら売っているのだが、あわしま堂のものはない。残念でしかたがない。で、調べてみたら、京都・伏見区に京都工場があることがわかった。しかも工場直売所もあるようだ。一度行ってみようかな。
追記(22日)散歩がてらに向かった最寄り駅から少し離れたMというスーパーで、あわしま堂・京都工場の商品を発見。但しわらび餅はなかった。うーん、残念。
2022年7月20日水曜日
和魂漢才と元和偃武
2022年7月19日火曜日
自民党改憲草案の考察2
…阪神淡路大震災の時も東北大震災の時も、日本の民度の高さが世界に喧伝された。法的な整備がなくとも日本は大丈夫だと思う。今回のコロナ禍でも、みんな真面目にマスクを付けている。有事の際は前例はないが、地下鉄サリン事件のような内乱罪に近い状況もあった。できれば基本的人権が、国家権力の知としての公共の福祉という記号に侵されることがないのがベストだが、さてさて…。
2022年7月18日月曜日
自民党改憲草案の考察1
http://tcoj.blog.fc2.com/blog-category-2.html
改憲案では「天皇は日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」となっている。要するに、国家元首であることを明確にしている。国際的にも認められている事実であり、明示することに異論はないところだ。第2条の皇位の継承は現状のままである。第3条には国旗及び国歌が規定されている。「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。第2項日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」第4条は「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があった時に制定する。」これらも現状を明示にしているにすぎない。もしかしたら、第3条の第2項に左派からいちゃもんがつくかもしれない。ボーイスカウトの副長であった私からすれば、すべての国の国旗や国歌について尊重するのは至極当然のことなので、この文言には賛成だ。後、第8条までは天皇の国事行為についてであるが、多少の変更はあるものの全く問題はないように思う。
さて、第2章の「安全保障」である。第9条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。第2項 前提の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」となっている。大きく変わったのは、第2項である。現状は「前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」要するに、自衛権の発動は国際的にも当然の権利であるし、現自衛隊が陸海空軍ではないというレトリックは現状に合わないということだ。私は、自衛権もない、という護憲派の主張はおかしいと思うし、国際的にも自衛隊は軍として認められている。これも表現が抑えられつつ、よろしいのではと思う。
続いて、9条の2として、「我が国の平和と独立並びに国および国民の安全を確保するために、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。2国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。3国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に強調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るためにの活動を行うことが出来る。4前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。5国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行なうため、法律に定めるところにより国防軍に裁判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。」となる。
自衛隊から国防軍という名称になるわけだ。自衛軍よりは国家権力の匂いがきついかな。2はシビリアンコントロールの徹底、3はPKOや「国民の生命若しくは自由を守るためにの活動を行うこと」とは災害時の任務について記されているのだと信じたいが、基本、軍というものは国家権力の暴力装置であることは間違いない。この認識は持っていないと行けないと私は思う。さらに、機密保持について法律で定め、最場所を置くという規定が出てくる。こういう法制化が改憲とセットになっているわけだ。スパイ天国の日本への危機感の表れだろう。決して悪いことではない。
9条の3「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」これは、自民党サイドの答えにあるように、国民に国を守る義務を課せたいところだが、徴兵制論議に発展するのは必定で、義務規定は困難と判断したようで、国を守る意識義務に近いものらしい。この条文の主語も国である。国民ではない。国民は協力する存在でしかない。
と、まあ今日はここまで。私は改憲派でも護憲派でもないスタンスだが、自民党の描いている改憲案は以外にソフトな表現で、既成事実や国際的な視点から見ても真っ当なことが多そうだ。左派が論議することすら否定するとしたら、それはやはりおかしいのではないか、と思う。ただ国防軍という名称は自衛軍や防衛軍のほうがいいような気がするし、9条の3はなくてもいいのではと思う。当然のことでわざわざ加えなくてもいいのではと思う次第。
2022年7月17日日曜日
都会の絵の具とは何か
『都会の英の具』とは何か。それはまさしく資本主義的社会システムそのものである。地方に残っている恋人は、「流行りの指輪」を欲していない。最終的に都会の絵の具に染まってしまった彼と別れることになり、涙を拭く(最も単純に生産され、安価な商品としての)「木綿のハンカチーフ」を欲する。これが地域間格差以上のことを歌っているように思えるのは、今読んでいる松岡正剛の「国家と私の行方」の第2講を読み終えた直後だからだろう。
第2講は、「みんな」と国家と資本主義というタイトルで書かれている。その内容は多岐にわたっている。国家についての結論的な部分は、ネーション・ステートすなわち「戦争ができるみんなの国民国家」であり、フランスのルネ・ジラールの著書「世の初めから隠されていること」にあるように、国家は民営化が押し進めながらも、警察や裁判を国が引き受けている事情は、国家の暴力性にあるというわけである。これには納得である。松岡正剛という人は、立花隆や佐藤優に並ぶ読書家であり、日本を代表する知の巨人の一人であると思う。
さて、資本主義の考察も、署名にあるように「18歳におくる」という添え書きどうり平易に記されている。アダム・スミス、マルクス、アマルティア・セン、ハイエク、シュンペーターなどの資本主義批判を解説した後、意外な結びに入っていく。ドゥルーズ=ガタリ共著の「アンチ・オィディプス」(1972)である。(私はドゥルーズが好きだが、さすがにこの書について倫理の授業で教えたことはない。)せっかくなので、倫理の授業をしているつもりで松岡正剛本にしたがってエントリーしておきたい。
一言でいうと、この大著は「欲望と機械がくっついた状態」を問題にしたものと記している。我々の身体や欲望は、サラのままでは取り出せない、自由もサラではない。ことごとく道具や機械やシステムとぴったりくっついている。我々は通貨とくっつき、眼鏡とくっつき、鉄道や自動車とくっつき、病院や精神医学や死とくっつき、PCやケータイとくっついている。いったんくっついたらなかなかとれない。そういうことを強調し、ドゥルーズ=ガタリは、「機械状」(マシーヌ)と名付け、我々の資本主義は「欲望機械」であると断じた。戦争は様々な武器や軍事という機械とくっついているから欲望機械のお化けのようなものであると。
この「アンチ・オィディプス」は「千のプラトー」というタイトルの本と二冊一組になっており、「資本主義と分裂症」というサブタイトルがついている。分裂症(現在は総合失調症)は、資本主義が作ったということを示している。分裂症の本質は、欲望が内部に向かって押しつぶされたものであるから、資本主義が欲望の市場を作っているのだとしたら、資本主義は「欲望を内部に詰め込んで人間の精神を犯す機械」だという主張となる。技術と欲望が不即不離になっており、そのくっついたものから現代の様々な精神病が生まれているという指摘である。
ここからは、少し「現代フランス哲学」(久米博:新曜社/1998)を参考に少し深掘りしておく。ガタリは精神医であり、前述の機械状の理論から、フロイトやラカンらの「パパ・ママ・ボク」といった家庭主義に閉ざしたエディプス・コンプレックス理論(ギリシア神話のエディプス神話の悲劇から導かれる男子が父を殺し、母を娶ることを欲する心理学説)の精神分析に対抗する意味合いが、「アンチ・オィディプス」というタイトルに込められているわけだ。(エディプスとオイディプスは読み方の違い)同時に、フロイトやラカンは、エディプス化された無意識は神経症化されるのとしたのに対し、分裂症化したと説く。
…木綿のハンカチーフで歌われた「都会の絵の具」とは何か。欲望機械そのものである都会に出た彼は、恋人が危惧していたとおり、機械状化してしまった。都会の絵の具とは、資本主義の生産と欲望が生み出す様々なモノとの「くっつき」状態である。「現代フランス哲学」をもう少し参照すると、ガタリは分裂症を自然人だと見る。『分裂症は、生産し再生産する欲望する機械の宇宙である。』うーん。すると、「涙拭く 木綿のハンカチーフをください」と望む女性は、この欲望機械の中で実に貴重な存在なのだということになる。だからこそこの曲が分裂症の我々の心をうつのであろう。
2022年7月16日土曜日
松岡正剛 国家と「私」の行方
現在日本は、1951年9月8日に日米間で調印されたサンフランシスコ講和条約をもって、敗戦直後からのアメリカの占領統治を脱して「独立」したということになっています。このとき同時に結ばれたのが日米安全保障条約と日米行政協定です。以来、日本は強力な安保体制の中に入りっぱなしです。日本中にアメリカ軍の基地があり、その約75%が沖縄に集中することになったのは、もちろんアメリカの軍事的地政学的な判断によるものです。それゆえ、これによって日本はあきらかに「アメリカの傘」の中にいるままになったのだから、果たして真に「独立」しているのかどうかも疑わしいという見方も成立します。
私も半分くらいはそう思っています。日本はアメリカの「属国」だろうとか「51番目の州」だろうなどとは言いませんが、サンフランシスコ講和条約を読む限り、そもそも独立国の条件である自治権と外交権のうちの、自治権しか認められていないようにも思えるのです。これは、苫米血英人(とまべちひでと)さんの翻訳の受売りですが、講和条約の日本語訳は「連合国は、日本及びその領水に対する日本国民の完全なる主権を承認する」となっているので、一見独立が認められたと読めるのですが、訳し直すと「連合国は、日本の人民による日本とその領域の十分なる自治を認める」となって、自治権だけが承認されていることになってしまうというのです。ちなみにこの段階では沖縄はアメリカの施政権のもとに管理されているので、日本には入りません。
が、それはさておくとして(本当は「さておく」わけにはいかないのですが)、その後の日本はめざましい「復興」をとげて高度経済成長を達成し、少なくとも経済的には「自立」している経済大国になったとみなされてきました。エズラ・ヴォーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とさえ褒めた。(ママ)でもはたしてそうなのでしょうか。日本の政治とと経済が自立しているのかといえば、いささかあやしいと言わざるを得ません。そのことのティピカル(典型的・代表的)な例が小泉内閣時代の「郵政民営化」にあらわれているのです。当時、諸君が子供だった時期、日本は「構造改革」をはたそうとしたのですが、そして」その目玉として「郵政民営化」に着手したのですが、それはアメリカのシナリオ通りのままだったのです。
アメリカが1970年代に入って、ドルショックとオイルショックを受け、プラザ合意に向かってドルを切り下げていったのは、対日貿易赤字が大きな原因でした。そこでアメリカは一連のドル安定政策をとったのですが、それでも日本市場へのアメリカ製品の輸出はいっこうに伸びません。アメリカはこれは日本の保護主義が障害になっていると判断して日米構造協議という折衝を始めました。日本がバブルに浮かれていた1989年のことでした。クリントン政権のロバート・ゲーツCIA長官は「これからはCIAの業務の4割を経済分野に注入し、その中心を日本に向ける」と言っていた。(ママ)まずは、大店法を改正してアメリカの小売が日本に入りやすくし、1993年にはクリントン大統領と宮沢首相が日米包括経済協議で合意すると、翌年からは「年次改革要望書」が毎年アメリカから日本に突きつけられることになります。じつは、この中身がそのまま「日本の構造改革」だったのです。建築基準法の改正、司法制度改革(裁判員制度の導入)、労働者派遣法の改正(人材派遣業の規制緩和)などが次々に要望書通りに着手されていったのです。それでもアメリカ側からするとこれだけでは大きな金融資産が流れ込んでは来なかった。アメリカのアテが外れます。そこで目をつけたのが、日本には総額350兆円が郵便貯金と簡易保険に眠っているということでした。要望は「日本の郵便事業は外貨の参入を妨げている非関税障壁なので、構造改革によって民営化するべきだ」というふうになります。この要望に堪えたのが小泉郵政民営化改革でした。
なぜこんな、話をあえてしたかといえば、今日の日本は日米安全保障条約と、この構造改革路線の上に完全に乗っかっているからです。ついでにいえば、この郵政改革のあと、アメリカが要求してきたのは医療分野と保険分野の構造改革でした。これをいま進捗させようとしているのがTPP交渉です。すいぶんはしょって説明しましたが、このような日本の現状から私達は世界と日本の現代史を展望しなかればならないのです。もっと端的にいえば、現在の日本はアメリカの地政学的戦略にほぼ閉じ込められた状態で、新たな編集的展望を考えるしかないのです。最近集団的自衛権を中心とした安保体制の改変が議論されているのも、この流れのうえでのことです。
注:この本は2015年12月発行。上記の医療・保険分野の構造改革はトランプ政権がTPP不参加としたため一応流れた。さらに集団的安全保障については(だいぶ修正が加えられたが)アメリカの要望に沿ったカタチで閣議決定された。
…私は以前から、日本は51番目の州だと自虐的に表現してきたので驚くことはないが、郵政民営化については、小泉の田中派・郵政族つぶし=選挙での集票力低下が最大の理由だと思っていた。ちょっと驚いた次第。
2022年7月15日金曜日
私の sgt.pepper's ジャケット
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https://www.youtube.com/watchv=DuuwABWmycs&ab _channel=%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%83 %A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF |
2022年7月14日木曜日
仏革命の死刑執行人
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https://bushoojapan.com/world/2021/09/08/105846 |
https://www.youtube.com/watch?v=RP9db9FAIzA&t=3s&ab_channel=%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
https://www.youtube.com/watch?v=lf4GKWDEWgI&t=60s&ab_channel=%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
https://www.youtube.com/watch?v=hMIMoCqFDu8&t=3s&ab_channel=%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
注釈はなし。是非、見ていただければと思う。きっと感銘を受けるはず…。
2022年7月13日水曜日
プリズンの満月 吉村昭
最初は、日本人刑務官は、A級はもとよりB級・C級の戦犯に直接接することは出来ず、米軍のカービン銃を持たされ外に向って警備させられていた。これは戦犯を奪還しようとする者が現れた時のための警備である。日本人刑務官は最初そういう敗戦国国民としての忸怩たる思いに苛まれる。表題となった『プリズンの満月』は、そういう時期の描写から取られている。
前方を警備している同僚が足を止め上方を見ている。主人公もその方向に目を向ける。(ここからは引用である。)『驚くほど大きい満月が、庁舎の上に昇っている。血のついた鶏卵の黄身のように朱の色をおび、月面の陰翳(いんえい)も浮き出ている。…かれは月に眼を向け、日本の月が昇っている、と胸の中でつぶやいた。月光は、獄房の中にもさし込んでいるにちがいなく、窓に身を寄せ、鉄格子越しに月を見つめている戦犯の姿が思い描かれた。死刑確定者は、その月を眼にしながら何を考えているのだろう。過ぎ去った日々のこと、家に残した家族のこと、そしていつかやってくるかしれぬ自分の死のことを思っているに違いない。』
こういう初期の日々から、次第に米軍監督下とは言え、歴代の日本人所長は頑張って待遇改善に奔走していく。連合国の悪意から戦犯を護る姿に感銘を受ける。日本人の中にも、戦犯に同情し郊外の菜園に向かうトラックに手を振る人々もいたし、左派系のマスコミはことさらに戦犯批判を強めていた。中でも、慰問の話は感動的である。幼き松島トモ子氏が洋舞「かわいい魚やさん」を踊り、戦犯たちの何度ものアンコールに答えた話や、後に巣鴨に収容されるフィリピンの戦犯(死刑囚だったが帰国後赦免された)の作詞作曲による渡辺はま子の「ああモンテンルパの夜は更けて」の話など、実に泣ける。
いい歴史小説だった。読者自身が刑務官同様、戦犯に同苦していく小説である。今回は特に主人公はフィクションだが、あまり表に出ていないA級戦犯処刑後の巣鴨プリズンの事実経過がよくわかった。と、同時に終戦直後の悲惨な状況もである。それは、まさに「血のついた鶏卵の黄身のように朱の色をおび、月面の陰翳(いんえい)も浮き出ていた」のであった。
2022年7月12日火曜日
ブルーアンモニア燃料の話
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https://www.youtube.com/watch?v=izkxb5TV7Jo&ab_channel=%E3 %80%90%E8%B6%8A%E5%A2%833.0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D% E3%83%AB%E3%80%91%E7%9F%B3%E7%94%B0%E5%92%8C%E9%9D%96 |
SDGsの理念は重要だと私は思っているが、石炭・石油より炭素排出量の少ない天然ガスが発電の主力となったことが招いた非持続可能的な現実が、そこにある。「一人も取り残さない」という理念は、「はしごを外せ」に変化している。これが構造的暴力以外の何ものであろうか。
さて、日本はCOP26で、ヨーロッパ諸国の言う2030年までに石炭火力発電所をゼロにという目標を否定し批判を浴びた。フクシマのこともあり、日本の電力供給における石炭石油発電は必要不可欠であるからである。しかも、日本はサウジアラムコの開発した「ブルーアンモニア燃料」(CO2をほとんど出さないというふれこみの石油燃料)の実用化に向けたプロジェクトを開始していたのである。これはも安倍外交の成果だと言われている。COPでは失笑ものだたったらしいが、2年かけて3箇所の発電所で生誕や石油と混合しながらの実験を重ね、先日、IHIがブルーアンモニア燃料のみの専燃発電に成功、たしかに99%以上削減に成功したという。…凄いなIHI。日本の理系バンザイ。
経産省から一気に他のプラントや燃料貯蔵へGOサインが出て、日本がこの新燃料の推進役として世界をリードしていきそうだ。COP22で、この発電方法をいずれアジアに広めると政府は言ったらしい。こういう気概や実に良しである。
2022年7月11日月曜日
ABE no Diplomacy
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https://www.youtube.com/watch?v=EaodO2Jjcpk&t=175s&ab_channel=%E5%A6%99%E4%BD%9BDEEPMAX |
一方、安倍元首相は、近隣諸国には、保守というかパトリオットとして、毅然とした態度をとっていた。相手が相手だけに、遺憾砲を撃つだけの外交ではなかった。当然ながら批判対象になっており、今日のYou Tubeでは、「安倍元首相の死を祝うセール」が開かれているなどというとんでもない情報がもたらされている。(画像参照)こういう近隣諸国に媚びへつらう必要がどこにあるだろうか。安倍首相の土下座彫刻を作ったもうひとつの近隣国の情報はあえて見ないようにしている。「反日」をゼロ記号としてプロパガンダしているような国々を相手にする事自体、馬鹿げていると思う。ただ、この画像は拡散したい。親中派の政治家はどう思うのだろうか。
首相の座を降りたとは言え、政治力を温存していた安倍元首相亡き後、自民党はどう動くのか。参議院選で大勝したが、それをどう使うのか、あまり期待はしていないけれど、良識ある動きをして欲しいものだ。
*何度も申し上げているが、この画像を見て、中国語故に中華系は全て同一と誤解されると困る。本土の反社とつるんだ中国共産党支配下のプロパガンダが作り上げたものであって、私の教え子であるマレーシアの華人とは全く関係ない。彼らは日本文化や本来の仁や義、そして礼をわきまえている民主主義者である。そのことを改めて声を大にして言っておきたい。
2022年7月10日日曜日
参議院選挙当日の争点考
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https://www3.nhk.or.jp/news/html /20220710/k10013710561000.html |
ロールズ&フロムの思想から
ロールズの正義に関する哲学用語に「無知のヴェール」というのがある。公正な配分を目指す場合における自己の情報がすべて遮断されている状況を指っしている。
私はこのところ、自己の損得とかいった問題ではなく、違う意味で私も含めた多くの人間が「無知のヴェール」に覆われている状況ではないかという疑念を抱いている。
この肥大したグローバリゼーションの中で、ネット上で情報が入り乱れている。今回の西大寺の事件についても、マスコミが流さない映像なども流失していて、様々な不可解な部分が多い。(詳細はあえて書かないが…。)
「無知のヴェール」に覆われているままでいることは、フロムの「自由からの逃走」に当てはまるような気がする。フロムは、自由であることから逃れようとする依存や従属のメカニズムを分析している。ナチスの独裁を許したのは、こういう大衆心理だと。
有名なフリーアナウンサーが、事件後緊急でYou Tubeを上げていた。自らの安心のために、陰謀論を信じるのは危険だという趣旨である。たしかにレトリックは整っているが、マスコミの中にいた彼の言もまた私は信じることができない。
何が真実で、何が正義なのか。私にはそれを知るすべを持たない。ならば、ウィトゲンシュタインの如く、「語り得ないものには沈黙せよ」と結論付けたいところだが、ここで言われる「語り得ないもの」とは写像理論で捉えられない形而上学的な問題であるので、ぴったりとはまらない。
…「無知のヴェール」を払いつつ語らないと、「自由からの逃走」に加担してしまう。この矛盾こそが今の私の状況である。
2022年7月8日金曜日
日本の給料が上がらない理由
ある生徒の小論文対策で、政治的な課題を考えているのだが、先日市立図書館で大前研一の日本の論点の最新版を借りて読んでみた。サブタイトルは、「なぜ、ニッポンは真面目に働いても給料が上昇しないのか」である。
このサブタイトルについては巻頭言で触れられている。30年間も日本の給料は横ばい状況で、これは世界に類がない異常事態である。30年間で2倍以上になった国が数多く存在しているのに、である。OECDの国際比較では、2020年の日本の平均賃金は約437万円で加盟35カ国中22位、平均の約558万円に対し120万円少ない。ちなみに平均給与の伸びは0.4%で消費者物価指数は2.7%の伸びである。デフレだから実質的にプラスだという論は誤りである。
なぜ日本では真面目に働いても給料が上がらないのか、その理由は単純で、企業の労働生産性が低いからであると大前は結論付けている。日本の一人あたりの労働生産性は、OECD37カ国中、26位。G7では50年以上最下位である。ただし、製造業の生産性は低くない。足を引っ張っているのは、ホワイトカラーの間接業務で、総務・人事・経理・法務などの間接業務のデジタル化による生産性が向上していない。デジタル化を進め担当者1人で10人分の業務をこなせば生産性は10倍になるが、間接部門の人数は減っていない。日本の企業が本気で取り組めば、労働生産性を上げることが可能だが、9割の失業者を出したくない故に人員削減に手を付けていない。この悪循環が原因だというわけだ。
ドイツでは2000年代に「アジェンダ2010」という生産性向上に取り組み、雇用市場、賃金協定、失業保険制度、年金制度の改革を進める一方で、デジタル化で仕事を失った人々の再教育に取り組んだ。大学や大学院で再教育を受けるリカレントや新しいスキルを身につけるリスキリングを受けることで、失業しても再就職しやすくなり、雇用の流動性が高まり新しい産業が育った。このシュレーダー首相の改革がEU内でドイツがリーダーシップをとれるような経済改革が成功したからである。
とりあえず要点をまとめると以上のようになるのだが、かなり痛みを伴う改革であり、小手先の政策ではなく、各省庁の様々な政策をまとめていかねばならない。ぶっちゃけ、今の日本の政治家にはとてもやれないだろうと思うのである。
2022年7月7日木曜日
ブミプトラ政策のメリット
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https://mobile.twitter.com/taraco_pber |
SNSの進歩で、普通のムスリムの人々も、簡単にイスラム復古主義の主張ににアクセスできるようになった。この影響は大きいようだ。移民・難民の人々にはヨーロッパは予想以上に居心地が悪く、復古主義の主張に同調する可能性は高い。復古主義の高まりは、シャリーアによる支配を望み閉鎖的になっていく。こういう地域が増えて辟易としたスウェーデンは、クルディスタンをはじめとしたムスリムを切り捨てたと思えてならない。
マレーシアにも、復古主義政党はあるがマイナーな存在である。穏健なマレー人の国民性が大きいと思うが、なにより、ブミプトラ政策で、イスラム教を国教とし、マレー人を優遇していることが、イスラム復古主義の台頭を押さえているように思える。ブミプトラ政策にも(特に中華系・インド系マレーシア人にとって)様々な問題はあると思うが、ちょっと逆説的に言えば、平和裏に多民族を国民国家として束ねる機能があるように思えるのだ。
イスラム復古主義は、ヨーロッパを始め中東でも不満を持つムスリムを吸収・拡大し、治安を悪化させている。マレーシアには、ブミプトラ政策でそういった不満が結集する要素が少ないのではないか、と私には見える。
野球部の練習を見る
前置きはさておき、今日も熱中症に注意という感じだった。採点を途中で止めて、高校の野球場へ初めて足を運んだ。ちょうどマシンを使っての打撃練習中で、外野三方向に2人ずつ守備練習も兼ねて守っていた。H高校なら、もっと人数がいるのだが、こちらは悠々と練習していた。さすがは私立なのである。ノックをしているかなと期待していたのだが、30分ほど見ていたが今日は打撃練習中心だった。
文武両道と口で言うのは簡単だが、やっている生徒は大変だ。だが、人生のこの時期にしかやれない経験なのだと思う。私などは、運動が苦手で思いもよらなかったが、人生全体で考えるとやっておく価値は十分にあると今になって思う。頑張れ3年生。文武両道、質実剛健。
2022年7月6日水曜日
夏は高校野球の季節
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http://www.belca.or.jp/l94.htm |
S学園も見事に強豪・TH高校と同じブロックになった。兵庫県はこのブロック制でベスト8を決めるらしい。春季大会ではTH高校と対戦が組まれたが、理由があって辞退した。今回はそのリベンジである。対戦する球場が高砂市だと言われては、大阪からは遠すぎてさすがに応援に行けない。期末考査中も特別練習をするはずなので、せめて練習(高校用の専用野球場)を見に行こうと思っている。野球部の生徒もたくさん教えているので、サッカー部に続いて頑張ってほしい。
ところで、秋田商業高校野球部にも期待を寄せている。サッカーは県決勝でインターハイ出場を逃したみたいだが頑張ってほしい。完全なる我田引水だが、秋田商業が甲子園に出てきたら私が応援に行けるというジンクスが生きていて、イスラエル旅行の時も帰国を待っていてくれたような組み合わせ(出場校最後の登場)であった。今春、6年ぶりに大阪に戻ってきた。秋田商業の幸運のじじい(女神ではない)は大阪にあり。こちらも頑張ってほしい。
2022年7月4日月曜日
現代思想の遭難者たち 2
「ボーズ ニクケリャ ケサマデ(坊主憎けりゃ袈裟まで)」と、坊主=ナチス、袈裟=ハイデッガーの意味でが言うわけだが、これに対する学生たちの反応が、面白い。「先生、どこかダーザイン、いやダサインですけど。」
学生の台詞にあるダーザイン(Dasein)とはハイデッガー哲学の中核をなす「現存在」のこと。ダサイと見事に韻を踏んでいるわけだ。
このダーザイン(Dasein)、高校の倫理の教科書にも出ている。よって、まともに倫理を学んだ最近の若者には理解可能なのである。我々の頃には、こういうドイツ語を学んでは来なかった。倫理の共通テスト&センター試験が長年にわたり少しでも難化しようと努力してきたことがわかるのである。(笑)
2022年7月3日日曜日
現代思想の遭難者たち
ニーチェやフロイト、ウィトゲンシュタイン、デリダ、フーコーなんかが漫画にされている。もちろん、彼らの思想をもとにウィットに富んだオチで締めくくられているのである。面白いものを少し紹介しようと思う。
左の漫画(画像は拡大可能)は本の最初にある漫画で、哲学を学ぶ大学生たちが脇役として登場するのであるが、ゼミに遅れるという友人に起こされる話である。その起こし方が、「純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判」というカントの三大批判書のタイトルである。これにすぐ反応して起きた学生。最後のオチは、出席しないとプラトンからやり直しになるというセリフとこの三大批判書のタイトルを叫んだことを『カント・ダウン』と称していることである。まあ、ダジャレなのだが…。2022年7月2日土曜日
参議院選挙期日前投票
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https://www.ehime-np.co.jp/article/news202205290039 |
結局、投票所とは全く別の机で、夫婦して投票した。選挙区・比例区とも実に厳重に密封して、枚方選管に今夜持っていき速達便で送ってくれるとのこと。いやはや、ご苦労さまである。憲法第15条・参政権の重みを今回は強く感じた次第。
というわけで、今回は愛媛選挙区(画像参照)と、これは大阪とも共通の比例代表に投票を終えたわけだ。参議院は、かなり微妙な存在である。時代とともに貴族院の化粧直し的存在から少しずつ変化してきた。どう贔屓目に見ても衆議院の優越は甚だしいし、アメリカの上院のような人口比を無視した州の代表の院でもないし、貴族制の残るイギリスの貴族院でもないし、果たして必要なのかという問いがつきまとう。
今回は、府選管から送られてきた全8面の比例区の選挙公報をちょっと考察してみたい。私は、この比例代表が参議院の最大の特色だと考えているからである。少数政党でも、比例区で当選することが可能なシステムであるからだ。党によって、紙面の割当が違うのは、議員数によるものであろう。もちろん議員を有しない政党は小さい。こういう政党が何を主張しているのか、少し見てみると明らかな時代の流れを感じる。
それは、昔風の言い方で言えば右派が多いことだ。「戦後体制っを打破せよ。嘘とごまかしの戦後体制固定化を図る自民党・反日野党結託政治に終止符を」と大書きしているS党。「天皇陛下は父系を堅持」を最初に挙げているN党、同様の政策を掲げ「自主憲法制定、国防力強化」をうたうK党などが目立つのだ。この3党は合同してもいいくらい基本理念が似ている。
これらの政党に対し、日本資本主義論争の労農派、55年体制での社会党左派、社会主義協会の流れをくむ社民党は、「がんこに平和」とのロゴ。「希望は憲法」とも。「戦争反対、外交の力で沖縄南西諸島を戦場にさせない」そうだ。
マスコミは全く取り上げないようだが、ネットで話題のS党は、こういう書面の公報では、主張を脱構築している。メインのロゴは、「あなたの気づきが日本を救う」である。3つの重点政策では、1.子供の教育、2.食と健康、環境保全、そして3.国のまもりとあるのだが、最後の国のまもりには、こうある。「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」ご丁寧に、”外国勢力が関与できない体制”には下線が引いてある。最大の争点はあえて記さず。主戦場はネットと言うことなのだろう。
ずいぶんと時代が変わったように思う。政治の世界もまたドゥルーズの予言・ポストモダンのリゾーム化が進んでいるようだ。
2022年7月1日金曜日
北欧2カ国のNATO加盟 考
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https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26029 |
北欧、特にスウェーデンは人権活動に熱心で、多くの難民や移民を受け入れている。そのアイデンティティを捨ててのNATO加盟である。またスウェーデンは独自の中立政策を取ってきた。軍事的にも独自の戦闘機(サーブ)を開発・配備していて、これもかなぐり捨てたといえる。それほど、ロシアは脅威なのだろうか。フィンランドは度々ロシアから侵略されていて、いままで泣く子を起こさないようにしてきたが、ここに至ってスウェーデンに同調した格好だ。
…正直なところ、私はスウェーデンの掌返しには驚いた。クルディスタンは見事に見捨てられたわけだ。結局のところ国益なのだろうか。という見方が普通のような気がするのだが、ここで違う視点も提供したい。偶然だが、今日帰路に「イスラム2.0ーSNSが変えた1400年の宗教観」(飯山陽:河出新書)を読んでいたら、スウェーデンの事情が少しわかってきた。
ムスリムが集住することで治安が悪化し、警察や当局者すら立ち入れない「ノー・ゴー・ゾーン」がドイツやイギリス同様にスウェーデンでも生まれているようだ。2019年にイタリア公共放送局がスウェーデンの「ノー・ゴー・ゾーン」を取材した。この時は在伊・スェーデン大使館はその存在はないと反論したのだが、スウェーデンの野党・穏健党は、地域のほぼ全域がイスラム法によって統治されている地区ではシャリーア警察が闊歩していると指摘している。2016年には、ストックホルム、ヨーテボリ、マルメなど大都市を含む全国各地で放火や路面電車への投石などが発生、2000台以上の車が放火されたといい、手榴弾やダイナマイトによる爆破事件も起こっている。戦争状態にない国としては考えられないほどの頻度と地元警察が嘆いているという。この治安問題がスウェーデン最大の国家課題であるらしい。
…もちろん、これらの治安悪化の原因がクルディスタンではないだろうが、スウェーデンでは反イスラム感情が高まっていることは想像に難くない。マレーシアの穏健なムスリムと接してきた私には想像だにできないが、これもまた現実である。スウェーデンは、そちらに舵を切ったといえるだろう。
…しかもNATOは、そのうち拡大NATOとして、オーストラリア、ニュージーランド、日本をも含む集団安全保障組織になるかもしれない。(韓国は例のF35のブラックBOX開封問題で米国からかなり不信感を持たれているが、結局入ってくるかもしれない。)今回のマドリード会議で、ロシアをはっきりと敵国扱いとし、中国を準敵国扱いにしたからである。
様々な論点がありそうな、北欧二カ国のNATO加盟問題…である。