2022年4月8日金曜日

再読 ハプスブルグ家12の物語

http://www.tabisuru-
c.com/travel/spain_
200704/royal/feripe2_r.htm
2014年の8月16日付のエントリーで、「名画で読み解くハプスブルグ家12の物語」について書いている。今回、帰宅して1階の書庫でこの本を見つけ読んでいたのだが、ところどころで本の下部に折った跡があり、これは重要な項目に対して行う私の癖なので、途中で再読していることを認識した。(笑)8年前はナポレオン2世についてだけ書いている。今回は、フェリペ2世についてエントリーしようと思う。

フェリペ2世といえば、かのカール5世の息子で、スペイン・ハプスブルグ家を継いだ。彼は4度結婚している。カトリックの雄であるから、離婚ではなく妻に先立たれたわけだ。最初の結婚は16歳で、ポルトガル王女(父方からも母方からも従姉妹というハプスブルグ家の血族である。)で、難産の上、カルロスというできの悪い息子(後に間接的に殺すことになる)を生んだ後あっけなく死んだ。2度めが、例の離婚騒動のイングランドのヘンリー8世とカザリンの娘・メアリー1世である。

この結婚は、カール5世の命令であったらしい。政略結婚も甚だしく、メアリーはイングランドを出る必要なし、スペインは軍を駐留させない、生まれた子はイングランドを継ぎ、もしカルロスが亡くなればスペインも継承させるという契約だった。それほどにイングランドをカトリックに戻そうとしたわけだ。メアリーは、フェリペ2世より11歳も年上で、しかも離婚騒動で幽閉されたり、殺されそうになったりと地獄を見てきたので年よりずっと老けて、髪の毛も歯も抜け病弱で痩せこけていたという。しかし世継ぎを生みたいという意志は強く、半年後侍医はメアリーの懐妊を発表した。フェリペ2世も義務を果たせたと喜んだのだが、これは想像妊娠、腹部の膨張は腫瘍だった。40近いメアリーに子をなすのは不可能と見切りをつけ、父の退位を受け1年半ほどでイングランドを離れる。メアリーは心のこもった手紙を送り続け帰国を待ったが、1年3ヶ月後に戻った時は対フランス戦の資金援助を仰ぐためで、それが叶うとあっさり身を翻した。それどころかエリザベス(後の1世)に内々に結婚を打診したりしている。メアリーの葬儀にも出席しなかったし、エリザベス1世が戴冠するとすぐ結婚の申込みをするが、さんざん翻弄され振られてしまう。

3度めの結婚は、フランスのアンリ2世の娘エリザベート。彼女は息子カルロスの婚約者だった。代理人を立て結婚式が行われたが、その際の馬上槍試合でアンリ2世が対戦した若い騎士の槍が折れ、目に突き刺さり9日間苦しみ抜いた後死亡する事件が起こった。(ノストラダムスの予言が大的中したことでも有名)縁起の悪いことこの上ないが、9年後、カルロスとエリザベートが相次いで亡くなった。(エリザベートは娘を2人生み、男児を早産して母子共に亡くなった。)その年のうちに4人目の妻をもらう。今度の相手は、従兄と実妹の娘アナ。大変な血の濃さ故、アナは多産であったが生まれた子は次々夭折し、結局息子1人(フェリペ3世)を残し12年後にまたも産褥で亡くなる。

太陽の沈まない帝国の主の人生は、実はこのようなものであったわけだ。

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