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この頃の日本の政情は伊藤が2度も議会を解散し、予算も不成立、なめられて当然の状況であった。しかし、朝鮮半島の独立は日本の生存について重要だと考えていた日本は、敵愾心が燃え盛り一戦辞さずという世論となる。高知の練武館員800名が義勇兵を志願、旧水戸藩士280名が抜刀隊を組織従軍願を陸軍に提出するとともに、福沢や徳富蘇峰が言論で盛り上げた。
菊池寛は、明治日本の外交界において、副島種臣、大隈重信、伊藤博文、陸奥宗光、小村寿太郎の5人が逸材だと書き、中でも陸奥宗光が機略、権道では一番だとし、外務省に銅像が建てられているのも頷けるとしている。
とはいえ、元海軍操練所(勝海舟は小才子、嘘つき小次郎と呼ばれていたと氷川清話で述べている)、海援隊(龍馬はその才気を見込みながらも、陸奥は他日必ず天晴れの利器になるであろうが、ただあまりに才弁を弄して浪士たちに憎まれているとしてその身を越前の国家老に託した。)を経て、25歳から外国事務局御用掛(同僚は、伊藤博文、井上馨、寺島宗則、五代才助など壮観なメンバーであった。)となるが、紀州出身の陸奥の昇進は不遇で立志社の政府覆滅運動に関係して入獄する。伊藤博文が、この陸奥が出獄すると外遊させ他日を期待した。当時の駐墺公使西園寺公望は陸奥がこの地でよく学んでいると伊藤に書簡を送っている。陸奥は再び出仕して、駐米特命全権大使、農商務相、枢密顧問官、そして25年、伊藤内閣のもとで外相となる。
…たしかに、陸奥は龍馬暗殺後の復讐を海援隊が誓った時、結局嘘つき小次郎よろしく、口だけで仲間から非難轟々であった。しかし、この日清戦争では見事な軍部との連携をとる。
戦後、下関条約で李鴻章と伊藤が談判している中、陸奥は剃刀のような目を光らせ黙していたらしい。さすがの李鴻章も気を呑まれていたらしい。…この頃には小才子ではなく天晴れの利器になっていたわけだ。
しかし三国干渉が起こる。その黒幕はロシアのウイッテ蔵相だということだ。大津事件の記憶もあり、大熱弁を振るう蔵相にゴーサインを出した。しかしロシアは単独での干渉には自信がなかったようで、イギリスはは、講和条件が自国の利権に損害が被ることはないとロシアの提案をはねのけたが、ドイツはビスマルク以来の方針(ロシアには東進させるのが賢明)を受けて提案を受けた。フランスはロシアと同盟国であったことと、普仏戦争に破れ維新を回復するために植民地経営に力を入れていたからで、清に恩を売り後でいくばくかの報酬を得ようと考えていたようである。これが三国干渉の実相のようだ。
結局、陸奥外交は最後の最後で三国干渉にしてやられた。菊池寛は、日本は、遼東半島還附の際に、なぜ三国に将来その地を合併または租借せざることを約束させなかったのか、日本は返したのだから他国も手をつけるべからずという言質をとらなかったのかと批判する。
また大隈が、講和談判中に、「日本は遼東半島を要求し、一旦日本の手に収めたら、直ちに清に還附するのが正しい。これを収めるのは戦勝国の権利だが、これを還附するのは、上後一人(天皇)の聖徳を顕彰する所以である。」と新聞記者に言っている。こういう懸念も当時一部にあったらしい。
清と相提携して白人の侵略に当たる、というのは、大久保、岩倉以来の新政府の基調であり、伊藤はその後継者と自他ともに認めていたはずだと菊池寛は三国干渉の末路について結んでいる。
…最後の白人云々の菊地寛の記述などは、さすがGHQ発禁本だと思わせるものである。(上巻終わり)
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