2022年4月20日水曜日

2005年宝塚線事故現場の話

https://www.asahi.com/articles/
photo/AS20200425000895.html
毎朝、枚方市の自宅から、JR西日本の学研都市線・東西線・宝塚線を乗り換えずに通っている。帰宅時は尼崎や宝塚で乗り換えるが、線路としては一本である。だいぶ長距離通勤にも慣れた。

往路、尼崎駅を過ぎて、少しは走ると2005年4月25日の事故現場の横を通る。

事故の時は、M高校英語科1年生の担任だった。終わりのSHRで事故のことを話した記憶があるのだ。とはいえ、この宝塚線とはあまり関わりがなく、事故現場を通過したのは、H高校で伊丹まで「なぎなた」の試合を見に行った時が最初だった。以後この4月まで、この事故現場を通過することはなかったのだが、今は毎日、往路も帰路も通過する時私は黙祷している。

悲惨な事故だった。その原因がJR西日本の商業主義に起因していたことで、大きな批判が渦巻いた。

帰路、ここを通過する際は、一気にスピードを落とすような気がする。カーブであるし当然なのだが、私には17年たった今も、「鎮魂」が続いているような気がしている。

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