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ギリシア語で示すと、表題のようになり、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴスと読むようだ。ん?アルケー?ロゴス?直訳すると、『アルケーはロゴスなり。』ここでいうアルケーは万物の始源(ギリシア哲学のアルケーの意味)だが、ロゴスは、キリスト(世界を構成する論理としてのイエス=キリスト、または神の言葉)であるという。
ブディストの私には、この「世界を構成する論理としてのイエス=キリスト、または神の言葉」という論理は実に難しい。よく佐藤優が神学書の中で問題視する「受肉」のこともあって、不可解なのだが、要するに万物の始源は神であるという意味合いだと推測する。キリスト教を極めて簡単に定義してしまうと、ナザレのイエスをキリストだと信じる宗教であるので、三位一体説から見ても意味は通じるはずだ。
よって、このヨハネの福音書の冒頭は、ギリシア哲学の言うところのロゴスではないので、ギリシア哲学とは全くの別物である。誤訳の「始めに言葉ありき」は、後の西洋哲学史から見て極めてギリシア哲学的であるが、あくまで誤訳である。ただ、この冒頭は、教養として高校生に教えておく意味はあるだろうと思う。しかもうまく紹介できれば、ヘレニズムとヘブライズムの両者を象徴的に教えることができるのではないかと思う。
…ところで、ついにL君がマレーシアから来日、成田で入国し、今日大阪に到着した。満開の桜に間に合った。待ちに待った邂逅の日が近づいている。
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