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ベトナム北部では、李朝大越国が中国の影響下から独立。ベトナム中部はチャンパが引き続き支配。カンボジアでは、6世紀にクメール人のイシャーナヴァルマン1世が扶南を破り、真臘が属国から立場を逆転させる。8世紀カンボジアでは、一次南北に分裂するが、ジャヤヴァルマン2世が真臘を統一、アンコール朝を建国する。ジャヴァルマン7世は方形のアンコール=トムを建設。12世紀に入り、スールヤヴァルマン2世が領土を拡大し、ヒンドゥー教の寺院アンコール=ワットを建築、繁栄する。
ミャンマーでは、ビルマ人のバガン朝が成立、こっこでは上座部仏教が信仰された。バガン朝は、雲南地方とベンガル湾を結ぶ交易で繁栄し、ビルマ族とモン族の融和が図られる。その後13世紀にモンゴルの攻撃を受けて衰退する。バガン朝の滅亡後は分裂が続いたが、16世紀にトゥング―朝、18世紀にはコンバウン朝が成立する。
ベトナムでは、このモンゴルの侵攻を、北部の陳朝大越国やチャンパ王国は退ける。陳朝では、チュノム(ベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字)がつくられた。陳朝の後、明が一時的に支配するが、15世紀前半に黎朝が見んから独立、中部のチャンパを滅ぼす。
タイでは、13世紀にアンコール王朝の支配から脱し成立したスコータイ朝以来、上座部仏教が国教となる。14世紀頃、アユタヤ朝がタイを支配、カンボジアに侵攻も行う。しかし18世紀にアユタヤ朝はミャンマーのコンバウン朝に滅ぼされる。コンバウン朝を駆逐してバンコクにできた新王朝がラタコーシン朝(チャクリ朝)である。
ところでモンゴルは、ジャワ島のシンガサリ王国への攻撃も失敗する。この後13世紀末にマジャバヒト王国が成立、インドネシアからマレー半島にかけて支配する。このマジャバヒト王国はヒンドゥー教の王国である。14世紀、イスラム化したインドからイスラム教が伝わり、インドネシアやマレー半島を中心に広がる。マレー半島にできたマラッカ王国は中継貿易で繁栄し、マラッカにはシャーバンダル(外国商人の代表が就任し、倉庫の割り当て、価格の決定、争いの調停などを行った。インドのグジャラート、インドの他地域とペグー:現ミャンマー・スマトラ、東南アジア、中国および琉球の4人の出身者が担当した。)という港湾長官が置かれ、東西海洋交易の中継港の地位を確立した。
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