2022年1月11日火曜日

受験の世界史B 研鑽ー32

https://wearewhatwerepeatedlydo.com/southeastasianhistory/
マレーシアの歴史についてはかなり詳しいつもりだが、他の東南アジア地域の歴史は空白である。今回の研鑽は、イスラムがやってくる以前の東南アジア史について。…東南アジアは、中国とインドに挟まれた地域で、両地域の影響が色濃い。
ベトナム北部は中国王朝の支配下におかれ、ドンソン文化(銅鼓など青銅器文化)がその影響下で成立する。
イラワジ川(チェオプラヤ川)流域では、ビューと呼ばれる人々が港市国家(港市が中心となって周辺海域を支配し、領域や人民よりも交易のネットワークに基礎を置く国家)が栄え、内陸ルートでインドの産物が扶南に流れるようになる。この港市国家を通じて、インド商人は仏教やヒンドゥー教を伝え、中国商人は儒学や法制度を持ち込んだ。

扶南は、ベトナム南部からカンボジアにかけて成立したメコン川流域の国でオケオ遺跡からはローマの金貨が出土している。3世紀前半にはインドの大月氏(クシャーナ朝)に使者を派遣、中国の三国時代の呉から通商使節が来たという記録が残っている。ビュのーの都市国家から扶南の中継地点であるチャオプラヤ川の中・下流地域では、モン人の港市国家群のドヴァラバーティが成立した。また、ベトナム中部にはチャム人のチャンパ王国(林邑・占城)が栄えた。青銅器を使用し、サーフィン文化(中部から南部にかけて存在した青銅器文化)が成立した。インドからの物流の流れは、ビュー→ドヴァラバーティー→扶南→チャンパという流れになる。

マレー半島やスマトラ島では、パレンバンを都とされるシュリーヴィジャヤ王国が勢力を持っていた。義浄はインドからの帰路立ち寄りこの地で大乗仏教が盛んだったと記している。8世紀、ジャワ島ではシャイレンドラ王国が成立、大乗仏教がここでも盛んでボロブゥール(ジャワ島中部のケドゥ盆地にある世界最大級の大乗仏教寺院遺跡:世界遺産)を建設した。マレー半島では、シャイレーンドラ王国が支配するが、古マタラム(8~9世紀にジャワ島のジョグジャカルタ周辺に繁栄したヒンディー王国。16世紀以降のマタラム王国はイスラムの王国で区別するために古がついている。)によって排除され、ヒンドゥー教寺院のロロジョングラン(ブランバナンとも呼ばれる。世界遺産)が建造される。その後、マレー半島とスマトラ島の港市国家は三仏斉(ジャーヴァカ)という連合を形成、交易の安定化を図った。このジャーヴァカにはシュリーヴィジャ王国も加盟しており、全体で中国の宋に朝貢していた。…つづく。

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