https://4travel.jp/travelogue/11221067 |
1969年5月13日以降、インド系の人々は、ブミプトラ政策の推進と共に周辺に追いやられていく。その過程が、本書では詳細に語られているのだが、特に記しておくべき内容として、1968年に12職種における非マレー人の登録を要請する雇用法が議会を通過していたが、1969年6月に、その後の新経済政策(NEP)の2本柱の1つ「経済分野に於けるエスニック集団間の不均衡是正」を背景に、約2000種にまで適用範囲が拡大されたことが挙げられる。これらの職種には、インド人が移民以来集中して働いていたプランテーション、鉄道、公共機関、さらには未熟練・半熟練分野の職場が含まれており、市民権を有さない労働者に雇用存続のための労働許可を求めるものであった。これにより、インド人は大打撃を受ける。非識字であったり書類の不備があったり、市民権への理解が浅かったりという理由で、6万人のインド人が帰国していったという。また、これまでインド人が圧倒的優位だったエステートの雇用比率は1965年の48.8%から75年には41.0%まで下がっていく。ちなみにマレー人は22.5%から38.0%へと上がっている。
ラーマン政権からラザク政権へ移行して以降、インドのエスニックグループの政治力は縮小の一途をたどっていく。総選挙ごとの考察は割愛するが、MICの凋落は明らかである。以上第4章国民戦線体制下のインド人社会の政治構造。
…ブミプトラ政策も様々な法律の集合体であることが実感できた。引き合いに出したくはないが、南アのアパルトヘイトの如き”法律の集合体”だということである。
0 件のコメント:
コメントを投稿