2018年10月11日木曜日

「アラブの格言」を読む。

また日本人会で手に入れた古本の書評である。曾野綾子氏の「アラブの格言」(新潮新書)。最初にアラブの「IBM」の話が出てくる。Iは、インシャアラー、Bはブクフ、Mはマレン。ビジネスにおいて、Iは「神がのぞみたまうなら」神は全能だが人間はそうではない、人間の希望することは神の助力があれば叶うというわけだ。Bは、「明日」の意味である。この明日、人間の誠意は成否の要素の半分しかないので、(ビジネスは)明日と行ってもやれるかどうか、半分は神の意志にかかっている。Mは、理のないこと、「過ぎたことは仕方がない」という意味になる。(ビジネスの失敗時に出てくる。)アラブの論理は、神が介入しているので柔軟に見えながらも鞏固(きょうこ)だと著者は言う。

私は、曾野綾子氏の関わっている国際協力関係の著書も何冊か読んだけれど、スタンスが違うと感じることが多い。まあ、カトリック的というか、保守性が強いというか…。なのに、この本を手に入れたのは、来年度のことを考えてのイスラム理解の一環である。この本は、アラブの民族色が強く、同じイスラムと行ってもマレーシアの状況とはかなり異なるのであまり参考になったとは言い難い。とはいえ、少し面白い記述があったので、エントリーしておこうと思う。

クウェートに著者が滞在中の喜捨の話である。イスラムの祭りの時、貧しい人々が喜捨を求めて歩くという日であったらしい。著者がいるオフィスに婦人が喜捨を求めて来た。そこの社長は心付けを渡した。著者が、その額を聞いたところ、50円くらいであった。その後、もう一人婦人が来た。今度は500円。その違いは、彼女たちが身につけていた腕輪の数だと著者は気づいた。ベドウィンは、お金を金に替えて常に身につけているからだ。より貧しい最初の婦人と比較的豊かだと思える後の婦人への喜捨の差について、反対ではないかと質問したら、社長は「人間には皆分相応がある。富んだ暮らしをしているものにはたくさん与える必要がある。」これがアラブの知恵。「過度の寛大は愚かさと同じ」だというわけだ。

…これには、なるほどと思った次第。日本人の発想とは全く違うが、そこには民族の深い知恵があると思う。異文化理解はやはり面白い。

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