2016年9月10日土曜日

「経済で読み解く明治維新」(後)

興味はあるがきっと
読まないだろうと思う
ところで、この「経済で読み解く明治維新」、著者のスタンスが時折見え隠れする。袈裟の下の鎧という感じなのだ。それはナショナリストとしての鎧といっていい。中国のことを石原慎太郎などが使う「支那」という語彙を使って表現している。

私は、老婆心ながら、こういう語彙をわざわざ使うこともあるまいと思っている。こういう”こだわり”は、この本が指摘する内容が興味深いだけに、残念である。特に歴史に対する議論では、その人の立つスタンスによって、内容まで曲解される可能性がある。

様々な立場の人が本を書き、それを読んで批判する、それでいいのだと思うが、著者のスタンスへの好悪が前面に出てしまうことは、私はあまり好ましいとは思わない。

日本の江戸時代の経済が、当時の世界的標準で見てもかなりの水準であったことが、この本を読むとよくわかる。著者が、それを誇りに思う気持ちも同感できる。しかし、”あとがき”はいただけない。

もし江戸幕府が経済力を生かせば18世紀にアジアを制することができただろうとか、「田沼意次時代が続いていたら「ペリーの来航もなかったでしょう。ひょっとしたらペリー艦隊は浦賀沖に到達する前に幕府艦隊によって全滅させられていたかもしれません。」とかいう文章は、ペンが滑りすぎたとしか思えない。もちろん著者は歴史に「もし」は禁物です、と前書きしているが…。

なかなか有為で興味深いと思ったこの本が、なんだか胡散臭く思えてしまうのは私だけだろうか。

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