http://www.wgal.com/national/911-seen-through-newspapers-front-pages/201308 |
あの頃、私は工業高校で教えていて、アメリカが最大の研究テーマだった。アメリカ本を貪るように読んでいた。アメリカの魅力に取りつかれていたように思う。そのアメリカが攻撃されたわけだ。それも、私も足を踏み入れたことのあるNYCの世界貿易センタービルである。単純に、大好きだったアメリカ側に立って、この9.11を考えていたように思う。
あれから世界は変わったのだろうか。
冷戦終結後は、民族紛争や宗教紛争が多発する、とある識者は指摘していたが、まさにそのとおりになった。9.11は、冷戦終結後ほぼ10年目に起こった。それまで各地でくすぶっていた怒りや不満が、一気にそれもグローバリゼーションの中枢中の中枢に打ち込まれたように、今は思う。
この「9.11」が分水嶺となって、紛争がさらに過激になったように思う。アメリカを初めとした先進国は、ありきたりの軍事的な反応しかできなかったように感じる。怨嗟が怨嗟を拡大させる。先進国の無力感が彼ら自身を内向きにさせている。アメリカしかり、イギリスしかり、フランスしかりである。領域国民国家の限界が透けて見える。
グローバリゼーションの下では先進国間の戦争はもはやありえない。経済的には運命共同体になっているからである。だが、その枠組み(富の分配)の周縁にいるいる人々は、その格差打開のために容易に暴力化する。
国連のSDGsは、そんな「9.11」15周年の今年・年頭に発表された。先進国は、周縁にいる人たちに富の再配分のための取り組みを検討しないと、決して持続可能な社会が築けない。これは、明らかな事実である。先進国が内向きではこれは実現し得ない。
15年たった今、アザーンの声が聞こえる街で、私は、「9.11」をそんなふうに考えている。
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