2014年12月9日火曜日

日経 池上彰の理系と文系

大岡山の東工大
http://townphoto.net/tokyo/ookayamaeki.html
8日の日経朝刊の池上彰の「大岡山通信」が面白かった。池上彰は東京工業大学の講義をもっている。「大岡山」というのは東工大をさすわけだ。理系と文系のちがいについて書かれていた。言うまでも泣く、東工大は理系の学生ばかりである。ここで、先日の7月~9月のGDP成長率下降は民間の在庫問題であると言うと、その計算式を教えて欲しいいう質問が出てきたそうだ。文系の私などは、そういう計算式より、その結果をどう捉えるか、さらにその後の対策をまず考えてしまう。もちろん、文系の池上彰も同じ考えのようで、理系は研究者だが、文系は経営者だという。…なるほど。

分子生物学会のコーディネーターをやった時のこと。理研の問題を取り上げたが、多くの理系の人々は、責任は研究者にはない。理研の責任者は辞任すべきではなかったが、あれだけ問題が大きくなったからやむをえなかったのだろう、というのが大勢の意見だったという。池上彰は、文系のマスコミと理系の研究者の間の思考方法方の大きな溝を説く。文系の発想では、理研の責任者は研究者とはいえ、経営者である。この発想が根底から異なるのだった。

…確かに、理系と文系では発送が全く異なる場合が多い。高校でも、特に理工学部出身者の数学や理科の先生(教育系は理系といってもかなり純度が低くなる。)は、やはり理系だと感心することが多い。特に数学の先生は、何事においても最初に答えを持っていることが多い。演繹的である。理科の先生も、物理や化学の専門家には、そういう演繹的なところがある。私などは、文学部出身のバリバリの文系だから、答えをいくつも想定する。社会科学の徒はそんなに答えは多くないが、人文系ならさらに融通がきくというわけだ。(笑)面白いなといつも思っている。実は、私は案外理系の先生と気が合うのだ。発想方法が違うからかもしれない。

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