2014年12月7日日曜日

角川文庫「廃藩置県」を読む。

角川ソフィア文庫の「廃藩置県~近代国家誕生の舞台裏」(勝田政治著・H26年10月25日発行)を読んでいる。比較的薄い文庫本であるが、純然たる学術書である。ところが、この本、なかなか面白い。他の本と併読しながら、ようやく、廃藩置県断行のところまできた。

以前前任校で日本史Bを教えている時、廃藩置県についてエントリー(10年10月29日付ブログ参照)した。話として面白いのは、西郷に山縣有朋が説得に向かう場面なのだが、この本でも書かれている。ちょっとホッとしたのであった。大佛次郎の「天皇の世紀」もまた司馬遼太郎的な学術的な問題を含んでいるのではという疑義を私はちょっともっていたのだった。

学術的に書かれている廃藩置県は、版籍奉還以来、小藩を中心に、府藩県三治体制(全国が旧藩と旧徳川家天領などの府・県といった明治政府直轄地に分かれていた。)の中で財政的にかなり窮乏していたことがまず書かれている。戊辰戦争の戦費や明治2年の東北の大凶作による米価高騰などが藩の財政を圧迫していたらしい。以来、府藩県三治体制をめぐって、新政府と各藩は様々な議論を行っている。しかしなかなか前に進まなず政治空白が続いていた。

そんな状況に業を煮やしたのが、長州藩の鳥尾小弥太と野村靖である。鳥尾は奇兵隊出身で文部省の官員、野村は松下村塾出身の尊王攘夷運動家で、政府には入っていないが長州の軍制改革に関わっており、両名とも軍制に関与していた。両名は山縣有朋に、時事を論じ「郡県の治(廃藩)」を実施すべきだという意見をぶつけた。山縣は即座に同意し、木戸に廃藩論をまずもちかけ、その後西郷にアタックするという手順を踏むことにした。当時この二人は参議であったからだ。

木戸には、井上馨から話をしてもらうことに3人は決した。井上には鳥尾と野村が説得に行くことになる。「今日は国家のために来た。同意しないなら刺し違えるか首をもらうかする」と迫ると、井上は「国家のために、そこまで言うとは、廃藩立県のことか。」とズバリ指摘したという。大蔵省の井上からすれば躊躇せず同意する話だったのだ。木戸も井上の話に同意。長州は一気にまとまった。著者の推測と記録を照合すると7月4日から6日というたった3日間の話である。

西郷に山縣が会い、同様に命がけの説得をするのも6日。この内容は、山縣の回顧録「公爵山縣有朋伝」によるものらしい。西郷は、山縣の来訪を受けて、その日に大久保のところに同意を取り付けに行っている。政治的空白に嫌気がさしていた大久保もすぐ同意。9日に木戸・西郷・大久保と西郷従道・大山巌、山縣・井上の7名が秘密会議を開く。その後、木戸・西郷・大久保の会議が何度か開かれ、三条実美と岩倉具視に打ち明け、14日には廃藩置県の詔書が皇居で知藩事(旧大名)に読み上げられるセレモニーが行われている。

それまでの府藩県三治体制をめぐる政治的空白が生んだとはいえ、凄いスピード決着である。歴史を動かす革命と言うのはこういうものなのだと思う。

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