http://www.din.or.jp/~yamapan/html/military/russianships/borodino.html |
赤崎氏は熊本県の出身。事業に失敗し、長崎でフランス料理を学んだ。そこから上海、サイゴン、シンガポール、インド経由で植民地化されたばかりのマダガスカルへ。最も大きなディエゴ・スワレズ港で植民地軍のフランス人あいてに酒場を開き、苦労しながらも、やがて、故郷に百円を送れるまでになった。
そのマダガスカルに、ロシアのバルチック艦隊が日本に向け集結してくるのである。氏は郵便配達人や貿易商を装って、なんとか艦内に入り込もうとする。情報をまとめ、インドの日本領事館に向けローマ字で打電した。当時、軍は英国からの情報で十分に把握していたのだが、氏に対し感謝状を贈ったらしい。氏は帰国後、小学校にその感謝状を飾ってもらっていたという。
当時の感覚から見れば、氏の軍事探偵まがいの冒険譚、十分判る気がする。遠く離れた異国で、お国のために命をかけようとしたのだろう。
それより私には、日露戦争当時に、マダガスカルに日本人がいたという事自体が大きな驚きである。奇妙な感覚が残ったのだった。
喫茶店でこの記事をメモしていた時に、生徒からメールがあった。台風18号の警報が解除になったという。今日は13:00登校になった。長い教員生活で、台風の警報解除で昼から授業があったのは初めてである。これまた奇妙な感覚であった。
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