2014年10月22日水曜日

日経 皇后陛下の怖れと覚悟

皇后陛下の傘寿の所感を、日経の春秋で取り上げていた。極めて示唆に富む内容だと思うので、全文エントリーしておいきたい。

10月20日の誕生日に発表される皇后陛下の所感にいつも考えさせられる。ことしはA級戦犯に対する東京裁判の判決をラジオで聞いた中学生の日を振り返られた箇所があった。「(そのときの)強い恐怖を忘れることが出来ません」。そう書いたあと、続けられている。
▼「戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈(はず)はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います」。考えたのは次のような幾つかのことである。
▼靖国神社参拝という今日の政治問題につながりかねない東京裁判について触れる勇気。66年前の少女のころの感情にまっすぐ向き合う誠実さ。その感情を的確に言葉で表す力。「国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場」への怖れとは、自身に対しても持ち続けられてきた感情かもしれぬ、と思いもした。
▼皇太子妃時代にはあった誕生日に際しての記者会見が、「皇后の誕生日会見は前例がない」という理由で、平成に入るとなくなった。そのことに納得はしていない。しかし、担当記者たちがつくる質問に答える形の文書に、とくに最近、質問が望む以上の内容があると感じる。伝えるべきことを持つ表現者の覚悟を感じる。
…国と国民という、個人を超えた所のものに責任を負う立場への怖れこそ、今の政治家に求めるべき覚悟だと私は思うのだ。

…あまりに拙速、朝令暮改で短期的な経済的効率や自らの名利で動く政治家が多い。これはなにも国政だけのことではない。

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