10月である。本校の総合的学習は、上半期の団活動と下半期の選択講座の二本立てである。ただ3年生だけは、学年単位で、消費者教育や映画による人権教育などを行うのだが、今年はその主会場である講堂が工事中である。つり天井を取り除くのだそうだ。仕方なく、今年は第一体育館に学年全員を集め、担任が1持間ずつなにか担当することになった。トップは私が努めることになった。自分で手を上げたのだ。
本当は、1年生ぐらいから、学年全体でESDをやりたかったのだが、ままならなかった。たった1回のESD実践である。これまで何回か使ってきたアフリカのプレゼンテーションをもとに、画像を見せながら語りかけることにした。たった1回なので、印象深いものにするために最後に、ブルキナファソ在住のIさんの詩を入れることにした。
ガーナに続くワガドゥグの国道沿いに並ぶ屋台の店に、貧しい子が残飯をもらいにくる話だ。店の人にさんざん痛めつけられることになるのだが、その子はトマトの缶にいれてもらった残飯を離さない。幼い兄弟に分け与えるためだったのだ。私は、この詩を声に出して朗読することが出来ない。感情が高ぶってしまう。実際に行ったことのある身にとって、あまりにリアルな話だからだ。そこで、国語科のT先生に詩の朗読をお願いしたのだった。
ケニア、南ア、ジンバブエ、そしてブルキナファソを画像で紹介した後、我々はアフリカから学ぶことがある、と説いた。それは、サヘル旅行で友となったオマーンの言葉だ。(苦しい日々であろうとも)あたりまえに、生きるという自然体のアフリカ人の姿だ。そして、ゆでたまごを売っている女の子の画像をバックに、T先生にこの詩を読んでいただいた。薄暗い第一体育館。風通しも悪く暑苦しいのだが、生徒は真剣に聞いてくれた。
放課後、食堂の前で、体育科の元野球部の主将と会った。「アフリカの話、よかったです。」と言ってくれた。この3年間、様々に関わり、かわいがってきたが、ついに彼の授業を持つことはなかった。おそらく彼に授業するのは最初で最後である。その思いを持っていたと伝えると、「ありがとうございます。嬉しいです。」と握手を求めてきた。普段の何倍も精力を使い果たしたが、報われた気がした。
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