中田考氏 http://cismor.exblog.jp/i7/ |
中田氏の証言は、極めて率直である。イスラム国のリーダーも世界中から集まっている人々も「サラフィー・ジハード」主義者で、武力闘争を辞さないと考える。出身国で迫害され居場所がない人々である。イスラム教徒ならば国籍や民族で差別されることはない。「イスラムの元の平等」がコーランの教えの核心である。富の格差を認めず、近代にできた国境も認めない、そうした理想を実現できる場所と期待すればこそ集まる。
ただ集まった人々はカリフ制再興への実感は薄く、コーランの表面的な規定を忠実に実現できる場所が誕生したことを喜んでいるように見えた。支配地域で暮らす人々は、サラフィー・ジハードには無関心で、戦闘や空爆に巻き込まれて亡くなる人も多く、「イスラム国」支配に積極的に抵抗しないものの、迷惑に感じているような空気もあったとのこと。
最後に、中田氏は「暴力を肯定するサラフィー・ジハード主義の考え方は日本社会には受け入れがたいでしょう。けれども、イスラム国での実現が期待されているイスラムの理想には学ぶ価値があると私は考えています。」と述べている。
…中田考氏と内田樹氏の対談「一神教と国家」(集英社新書)を読めば、中田考氏の言っていることがよくわかる。今、世界史BでWWⅡ以後の世界のプリントを作製してる。大極的に見れば、WWⅡ以後の世界は、東西冷戦という二極化から多極化へ、そしてソ連の崩壊で一極化、さらにグローバル化し、構造的暴力と民族的・宗教的対立がリゾームに激化していくスキゾな過程だといえると私は思っている。この流れの中で重要なことは、ベトナム戦争でアメリカが失速したと同時に、ソ連はアフガン侵攻で崩壊のきっかけを作ったことだ。アフガン侵攻の直前にイラン革命が起こっている。私は、実は、このイラン革命こそが、戦後世界の分水嶺だと思っている。反欧米的なイスラム原理主義の派生はここから始まっている。
…中田考氏は、イスラム法学者として率直に、欧米的な価値観によらず、イスラムの側の平等主義を学ぶ価値ありと堂々と主張しているわけだ。日本では稀有で重要な存在だと私は思う。
…だが私は、イスラム原理主義を普遍的な正義だとは思わない。同時に欧米先進国の理念、自由と民主主義も資本主義も国民国家・ナショナリズムもまた「絶対的・普遍的」な正義だとは思わない。地球市民としては、どちらにも組しないで、きちんと見ていくことが重要だと思うのだ。
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