2014年9月9日火曜日

教養としての音楽史を語り合う

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わが4組の副担任は、今年音大を卒要したばかりの若いY先生である。もちろん音楽が担当である。ミュージカル・WICKEDの歌の指導をしていただいたり、準備室でCM撮影をさせていただいたりと、ずいぶん協力していただいている。毎回、舞台での練習も見に来ていただいている。

Y先生と今日ちょっとおもしろい話をした。今、音楽の授業で「音楽史」をやっているらしい。3年生は、あと10日に迫った体育祭・文化祭のことで頭がいっぱいらしく、授業に身が入らない。先日も、私の世界史Bでは、最後まで起きていた生徒が5人というクラスまであった。ひどいもんだ。で、「みんなちゃんと聞いてる?」とY先生に聞くと、笑いが帰ってきた。私とあまり変わらないようだ。

音楽史は、当然クラシック音楽の歴史になる。最近の高校生は、アイネ・クライネ・ナハトムジークと言ってもほとんど知らない。トッカータとフーガニ短調といってもダメ。聞けば、ああ、あの曲とわかるかもしれないが、こういうモーツアルトやバッハの有名な曲くらいはスラスラでるようにして欲しいもんだ。そんな話をしていたのだった。

Y先生の前の席には社会科のT先生が座っている。そういう教養って大事ですよね、という話になった。美術史も大切な教養だね、という話になったりした。

私は、中学生の頃、クラシックにはまったので、こういう基礎的な音楽史の教養を自ら得た。未だにベートーベンやドボルザークの交響曲のメロディがすっと浮かぶ。だいぶ聞き込んだのだった。一方、高校時代は、美術史の素養を深めた。西洋美術史の太い本も買い込んで自分で勉強した。ある先輩がら、何の時だったか忘れたが、「それはダダか?」と聞かれたことがあった。ダダイズムという意味である。第一次世界大戦くらいに起こった、それまでの既成概念の破壊を目指した芸術運動である。こういうコトを知らないと、先輩の話についていけなかったのだ。教養などというものは、基本的に背伸びして得るものである。私はそんな気がしている。

Y先生にも、大いに生徒に背伸びさせてやって欲しいと願っている。

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