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まず、長年私が不思議に思っていたことへの著者の回答。それは、WWⅠで、初めて使用され、開発が一気に進んだ毒ガスのことだ。何故WWⅡでは使用されなかったのだろうという疑問である。
著者は、まず、技術開発担当者の関心が毒ガスから戦車や航空機に移っていたこと。次に、こちらのほうが重要だが、軍人の間で、使った側が何だかこそこそして非英雄的に見える兵器に対しては心理的嫌悪感がもたれたのではないか、というのである。
先日エントリーしたように、欧米におけるギリシア・ローマの古典的素養は重要な教育の一部分であり、英雄崇拝が強いという話が出てきた。まさにこの裏返しだというのである。私自身は、これに大いに納得できる。世界的に見ても、こういう神話的な英雄崇拝の文化は多く存在するわけで、毒ガスや生物兵器といったものは、極めて非英雄的で、少なくとも軍人としての誇りを持つ者は使用しないのだというわけだ。…よって、オウム真理教など論外。サダムフセインやアサド(これは反政府勢力との情報もあり未確認だが)も、極めて低く見られるわけだ。
さて、この英雄的行為と軍人としての職分について昔から抱かれてきた観念は、最近の技術水準を反映した陸海軍の実情とは齟齬をきたし、その結果欲求不満が生じていると著者は言う。こうした内的緊張は戦争の官僚化と産業の最初の段階からあったものだが、プッシュボタン戦争は、筋肉的な武勇のまさに対極である。
こういう記述を読むと、米軍がやたら「無人偵察機」や「空爆のみ」にこだわる現実や、中国の「挑発的行為」について、考え込んでしまう。
この文庫本は、極めてアカデミックに大局的な視点から戦争と歴史を論じている。なかなか凄い本である。
はじめまして。
返信削除元小学校教師、ヨルダンでは美術教師、
その後、JICAのアフリカ教育案件の担当している和さんです。
中東(シリア・イラク)などの国の思いをひきずりながら
しみじみ読ませていただきました。
和さん、コメントありがとうございます。JICAの方に読んでいただけるのはうれしいです。これからもよろしくお願いします。
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