2013年7月18日木曜日

ケニア・モンバサの事件 私感

アダム氏
ケニアのモンバサで邦人が銀行の帰路強盗団に襲われ死亡したというニュースが流れた。心からご冥福を祈りたい。モンバサは、私にとっても鬼門の場所である。JICAでケニアに行かせてもらった時、最初モンバサに行く予定だったのだが、到着したその日にテロ事件が起こり、歓迎会の最中にJICA事務所の方々がモンバサ方面のJOCV全員の安否を確認するという状況になったのである。行けなくなったモンバサという街の名は強烈なインパクトを私に与えた。

その後のケニア研修は、極めて重厚な危機管理が行われた。JICA事務所専属の元警官で、射撃のオリンピック・メダリストというアダム氏(アルメニア系の白人だが、ケニア国籍を持っていた。)が、付き添う事になったのである。当然彼は上着の下のホルスターに拳銃を忍ばせていた。私は彼と仲良くなったので何度か銃を見せてくれた。彼の話によると、JICAの車は狙われやすいのだと言う。車体に描かれたJICAのロゴは、金満国家日本の車だと宣伝しているようなもので、実際強盗と遭遇し、撃ち合いになったこともあるという凄い話も聞いた。

実際、ナイロビの日本人学校で日本人校長が学校の目の前で襲われ死亡した話や、日本人生徒が集合するガソリンスタンドで撃ち合いがあった話なども聞いた。日本人は多くのケニア人に愛されているが、強盗にとっても絶好の獲物でもあるらしい。だから、ナイロビのホテルから隣のスーパーに移動する際も、アダム氏やピーター・オルワ氏(何度か書いているが、ピーターはボクシングのメダリストだ。)が完全に危機管理していた。たった5mほどの距離を完全封鎖しつつ、私たちを移動させるのだった。ダウンタウンの日本大使館へ入る時も、同様だった。ナイロビはなんと恐ろしい街かと思ったものだった。

その後、私はアフリカを1人で歩いてきた。要するに金目のものを身につけたりしていてはダメだし、常に警戒し、危機管理を自分で行っていた。今回のニュースを見聞きすると、銀行で300万円近い現金を下ろした直後のことらしい。現地人の運転手はいたらしい。(と、いうよりこれはアフリカでは常識的なフツーの話である。)だが、ガードマンを同行させていたという情報はない。アダム氏ほどの優秀なガードマンでなくとも、それだけの現金の受領なら重厚な危機管理が必要ではなかったのかなと私は思ってしまう。

モンバサは、ムスリムが多い町で、しかもソマリアから中古の武器がかなり流れているらしい。貧しい者は、金持ちからなにがしを得ることは権利であるという気風も強い。これはケニアやアフリカに限ったことではない。亡くなられた邦人の方の冥福を祈りつつも、こういう危機管理をなおざりにしてはいけないと思うのだ。これはモンバサやケニア、そしてアフリカに限ったことではない。この事件で、アフリカへの開発協力や投資が足踏みしないよう祈りたい。必要なのは、絶対的な貧困の撲滅と、経済格差の是正による治安の安定なのである。最後にもう一度、ケニアの開発に身をささげ、尊い犠牲となられた邦人の御冥福を祈るものである。

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