2012年6月23日土曜日

イスラエルのアフリカ系難民

今日のネタ本
本来なら、今日は道祖神のカルチャースクールで藤井さんの話を聞きに行く予定(本年3月10日付ブログ参照)だったのだが、所用ができて行けなくなってしまった。予約してあったのに誠に残念である。藤井さん、道祖神の皆さん、すみません。

ところで、6月20日は「世界難民デー」だった。毎日新聞には、その関係もあるのだろうか、『閉じる移民国家-イスラエルのアフリカ難民』という記事がここ2日掲載された。その記事を要約すると、以下のようになる。
『イスラエルは、国連難民条約批准国であり、アフリカと陸続きであり、しかも豊かな先進国であることが主な理由となって、エリトリアや南スーダンを中心に難民申請が増加し、ここ2年で約3万人、計6万人のアフリカ系難民が、テルアビブ南部の低所得地区に集まっている。しかしエリトリア人のレイプ事件をきっかけに暴力行為が頻発しており、「侵入者」として厳しい目にさらされている。世界中で迫害されたユダヤ移民が築いた「約束の地」は決して「安住の地」にはなっていない。』

この記事を書いたH記者の(要約における最後の)コメントは、日本人の意識の大きなずれを感じざるを得ない。私は、アフリカの人々を深く愛する日本人だから、このような記事を読んで憤慨すべきなのだろうが、実は違う。イスラエルの実情を学ぶうちに、暴力行為は非難すべきだが、たしかに彼らは「招かざる客」に他ならないと思われるのだ。

イスラエルには、黒人のユダヤ教徒がすでにいる。エチオピアのユダヤ人である。彼らは1991年5月23日、周到な計画のもとイスラエル軍とエルアル航空の無標識の旅客機が、膨大な買収費を使いアジスアベバ空港に飛来、山奥で何世紀もひっそりとユダヤ教の律法を守り続けてきたが、政変で非難、首都でスラム住まいしていた彼らをこっそりと武装しつつバスで連れだし、30機の旅客機で36時間かけて1万5千人を空輸して連れて来られたのだ。「ソロモン」作戦という。(これ以前にも「モーセ」作戦が実施された)中には1000人を1機に詰めて飛び立った機もあったそうだ。パイロットは「一人も置いておきたくない」と語り、はからずもギネス記録を作った。彼ら、エチオピアのユダヤ人は、タルムード(ヘブライ語の律法の膨大な解説書)が出来る以前にエチオピアに移っていたので、第二次大戦後移民してきた他のユダヤ系の人々と違い、当然ヘブライ語が出来ない。このような国家を挙げての史上最大の極秘救出作戦でイスラエルという「約束の地」に戻ってこれたにもかかわらず、同じユダヤ教徒でありながら苦難の日々を送ることになる。もちろん、国家もまた彼らの教育に莫大な費用を投じた。アムハラ語からヘブライ語へ。数々のエチオピア系ユダヤ人に対する政策を行い同化への道筋を拓くのである。もちろん他のユダヤ人からの批判もあるが、イスラエル政府は「選民」である彼らへの支援を行った。高等教育こそがイスラエルで生きていく必須条件である。優秀なエチオピア系の青年も生まれているが、一方では未だに最も貧しい層であることは間違いないようだ。電気も水道もない貧しい村から、理念は同じでも言葉の通じない超ハイテクの先進国へきたエチオピア系ユダヤ人。さそかし帰ってきた者も受け入れた者も大変だったと思われる。

このように、エリトリアや南スーダンからの難民と、エチオピア系ユダヤ人の立場は全く異なる。それは「選民」か否かである。エリトリア人にとっては、たとえキリスト教徒であっても「約束の地」ではない。そこは、先進国の中でも特殊な地である。エジプトのブローカーによって、イスラエルに入国した人もいるという。決して良い選択だったとはいえまい。

最大の問題は、難民を輩出している「悪しきガバナンス」の国々なのである。それを見失ってはならないと、アフリカを愛する日本人として強く思うのだ。

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