2012年6月24日日曜日

リオ+20が閉幕したが…

今回のリオ+20は、大した成果もなく終わってしまったようだ。「グリーン経済」への以降の工程表は結局棚上げされた。相変わらず先進国と途上国の国益が、「環境」と「開発」と名を変えてぶつかり合う姿ばかり目立つ。
世界一の二酸化炭素排出国である中国は、相変わらず自らを「大きな途上国」と主張している。一方で宇宙開発では自前の宇宙ステーション開発計画をぶちあげたり、さすが「2の文明」(10年12月17日ブログ参照)の国の面目躍如である。(笑)

私自身はアフリカ諸国に足を運んだ関係で、「構造的暴力」という先進国優位が、あらゆるグローバルスタンダードの根底に潜んでいることを十分理解できる。今回の結果も絶対的な経済格差が、途上国の疑念を払しょくできていないことの表れだと考えている。+20年という時間では、到底解決できなかったわけだ。それどころか、先進国も様々な問題を抱えている。グローバルな「環境」会議に真贄に向き合うタイミングではなかったと言ってしまえば悲しすぎるだろうか。

「衣食足りて礼節を知る」とは古臭いコトバだが、物質的な余裕がなければ、こういう議論は成立しないのだとも言えるだろう。決して途上国の話だけではない。EUやアメリカ、日本も含めて、先進国の政治家にも全く余裕が見られない。

「民主主義」と「資本主義」は、グローバル的には「普遍的な正義」となりえているが、これを支えている哲学的な部分は、私はヘブライズム(ユダヤ・キリスト教)とヨーロッパ合理主義だと考えている。ここには、暴力の肯定と、選民主義(国家間・人種民族間・宗教の相違など広い意味でのセクト主義)が、内在していると思っている。地球市民の育成とは、こういう部分を排除する戦いでもある。そんなことを考えたりした「リオ+20」の閉幕であった。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120623-OYT1T01183.htm

0 件のコメント:

コメントを投稿