鴨川から桜越しに京大稲森財団記念館を望む |
トゥルカナは、トゥルカナ湖の西方、スーダンとウガンダに国境を接する地方(面積は九州程度)に約30万人が暮らしている。乾季には礫砂漠といっていいほど乾燥する。私が以前紹介した静岡県立大の湖中先生が研究している同じケニアの牧畜民サンブルより、さらに過酷な土地である。何よりインフラが悪く、ナイロビに出るのに2日かかるという。太田先生は、「牧畜民」の暮らしを一般の方にも解るよう豊富な画像で説明された。私は、湖中先生の本を熟読し、またブルキナで牧畜民のトゥアレグの村にも足を踏み入れた経験もあって、よくわかった。たしかに牧畜民の暮らしを、日本にいると、全くイメージできない。一から説明するのは大変だ。
面白い話も満載だった。コブ牛ゼブのこぶは脂肪の塊であることは知っていたが、食べると「大トロ」のような味らしい。(笑)彼らは自分の所有する牛や羊、山羊の顔を記憶しているという。また乳を搾る際、子供にまず飲ませ、子供を離して絞るのだという。もし子供が死んだら、その革で人形をつくり、それに母の小便をかけたりして騙すらしい。人間の生きる知恵は凄い。去勢のやり方も教わった。睾丸を切るのではなく、木のハンマーでたたき精索(血管と輸精管の束)を内部で切断するらしい。200回ぐらい叩くそうだ。(痛)
日本で「雨」という語が様々にあるように、彼らのコトバには、家畜の模様や、角の生え方をそれぞれ意味するコトバ(名詞)があるそうである。また去勢した特別な牛に宗教的な価値をもっていたり、独特な文化を形成している。私は、こういう話が大好きだ。
ところが、この牧畜社会、「開発」という面から見るとかなりキビシイ。完全に周辺化してしまっているわけで、これからどうなっていくのかという課題が山積みである。この辺、時間が足りなくなってしまった。休憩の後質疑応答で…ということになった。
私は、次のような質問を書いた。アフリカにおける携帯電話の普及は著しい。トゥルカナではどうか。家畜商とのやりとりなど、マーケットへのアクセスに有利だと思う。ちなみに、サンブルのように家畜商はキクユ人(ケニアのマジョリティ)が握っているのか。
太田先生は、他の方の質問も踏まえ、およそ次のような話をされた。教育事情も30年前とは格段に良くなったこと(とはいえ、現在でも60人の集団がいたとして、英語は2~3人、スワヒリは50%が解るというレベルらしい。)携帯も普及しており、それまで歩いて情報を交換していたのが、大きく変化したという。と、この辺で時間切れになった。
終了後、一番にかけつけて質問した。サンブルよりはるかに周辺に属するゆえに、まだまだマーケットにのれないらしい。またジャトロファー(バイオ燃料に期待される毒草)の話題になり、「これは今大問題なのです。」とおっしゃった。この件については改めて書きたいと思う。
センターの研究員さんと、スーダンにNGO職員として行かれており一時帰国されているお嬢さんを交えて、懇談することになった。ワインなどを手になかなか素敵である。(私はジンジャエールだったが…。)スーダンのお嬢さんは、難民の世話をしていたとのことで、人間の安全保障的な国際協力から、「開発」へとNGOが発展するのかどうかの瀬戸際だと言われた。牧畜民に農業支援をしょうかという話になっているらしい。研究員さんは、実際そういう遊牧民が農耕民化して、ある日突然やめてしまったという話をされていた。なるほど。そう簡単にいかないと私も思う。彼らにはカインとアベル以来の相克がある。
太田先生と語らう中で、アフリカの牧畜民が、近代国家や市場経済の「周辺」として大きなお荷物視されている現状を確認した。うーん。どうすればいいのだろう。大きなテーマをまたいただいた。主食たる穀物生産の生産性を拡大し、自由な賃金労働者を生み出し、投資を呼び寄せて工業や商業でGDPを増やすのが、一応の開発経済学のセオリーであるが、牧畜民は最も土地生産性の低い集団である。とはいえ、彼らの伝統や人権や生業を否定することは難しい。うーん、と唸るのみである。
ちなみに、研究員のみなさんは、前回の公開講座で再会したEさんを通じて私のブログをご存じだった。(Eさんはブルキナに先日発たれたという。頑張って!Eさん。)かなり恥ずかしい。あくまで市井の独学の高校教師のブログです。お手柔らかに。
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