昭和天皇が戦時中すごした御文庫の執務室に2つの胸像があった。1つはダーウィン。生物学の研究をしていた天皇らしいが、もう1つはリンカーンであった。ルーズヴェルトが執務室にガタルカナルから送られた日本兵の髑髏を置いていたことと比べて、凄みを感じる。想像を絶した無私の境地である。(著者と同感。)
昭和天皇の生母は、九条家の出であるが、華族女学校中等部の全ての生徒の中から最も健康な女生徒だとして、侍医・橋本綱常によって選ばれた。この橋本の長兄は、安政の大獄で有名な橋本左内である。橋本は伊藤博文に「橋本の身体から医学を差し引いたら零じゃ」と言わしめた奇人でもある。(このへんの明治という時代の面白さを感じる。)
大正の元号をスクープしたのは、大阪朝日新聞の新人記者緒方竹虎である。(後の緒方を知っていると面白い事実ではないか。)
昭和天皇の帝王学・倫理の初講義は「三種の神器」について語られた。鏡が知を、玉が仁を、剣が勇を「実物に託して垂示せられるもの」だからである。知・仁・勇は中国での徳の最たるものであるとともに、西洋でも知と情と意思を兼ね備えた人格を完全なるものとしている。ゆえに知仁勇は人類に普遍的な徳である。知を磨くには学問を好きになること、仁を育むもは「下民」を愛しいたわること、勇を養うには恥を知ることと具体的な方法が挙げられたという。(倫理の教師としては、なるほどと思った。)
リヒャルト・ゾルゲもヒトラーと同様第一次大戦でイーブル攻防戦に参加した。負傷し、ケーニヒスベルグの病院でヒトラーが受けたのと同じ第二級鉄十字勲章をもらった。マルクス主義者の看護婦に感化され、彼は勲章に大した価値を見出さなかったが、後にこの勲章のおかげで、在日ドイツ大使館の武官を籠絡するのに絶大な威力を発揮した。(この逸話、凄い。いつか授業で使わせてもらおうと思った次第。)
昭和天皇の妃・良子皇后を選んだのは、大正皇后らしい。皇后は数人の学習院女学部の生徒を呼び、掌を見分した。1人だけあかぎれができていた。それが良子皇后である。他の者がいやがるので毎日便所の拭き掃除を引き受けていた故のあかぎれであった。乃木が冬でも湯を使わせなかった故らしい。(トイレの神様の話を思い出す逸話である。)
実は、この天皇と皇后は、幼い時(昭和天皇が6歳くらい)に同席している。弟(後の秩父宮)が皇后の妹にいたずらを仕掛けているのだが、2人とも全く動ぜず楽しげに笑っているだけだったという。(こういう話、個人的に好きである。)
他にもたくさんあるのだが、これから読まれる方もいるだろうし、これくらいにしておきたい。お勧めの1冊である。第二部の発行(5月10日)が待ちどうしい。
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