2010年3月19日金曜日
アパルトヘイトは消滅したかⅠ
このところ話題にしてきた人権問題をアフリカにもどしたい。南アでの話である。私の泊まったプレトリアの安宿は、欧米人ご用達であった。私は欧米の人たちと共にドミトリーで就寝し、暖炉のあるリビングで語らい、無料のコーヒーを飲んでいた。<今日の画像はここのスタッフC氏のスナップである>C氏は、私のジンバブエ行きのためにいろいろと骨を折ってくれた人物である。客とスタッフというより友人関係だといっていい。ところが、欧米人には黒人に対するDNAのようなものがあって、また反対に黒人の方も欧米人に対するこれまたDNAのようなものがある。私は南アで、このような欧米人と黒人という二元論的世界の中、自分が「日本人と言う、どちらにも属さず、またどちらにも属せるという新たな装置」であることを認識した。
C氏と友人関係であれたのは、まさにそのためだ。最初、いろいろ調べてくれたので、コーラを奢った。彼はびっくりしていた。チップでもなく、無視でもなく、コーラを奢られたのである。最初は躊躇していたが、やがて毎回なので慣れたようだ。ジンバブエ行きのバスチケットが取れた時、アフリカンスタイルの握手(握手・指相撲風握手・握手という三段階の握手である。東アフリカと南アフリカ共通。西アフリカはまた別の握手になる。)で喜び合った。
すると、おもしろいことに他の掃除や洗濯、食事の世話をする女性スタッフまでもが、私に話かけてくるようになった。欧米人には絶対見せない素顔である。そのジンバブエ行きのバスがやっと取れた日のことである。庭のテーブルで、安物のトランジスタラジオをかけながら本を読んでいたら、「そのラジオ、高いの?」とい声をかけられた。(彼らは欧米人になれなれしく言葉をかけない。それどころか表情が堅い。)「安物だよ。日本製じゃないし。」「いくらくらい?」「うーん。100ランドくらいかなあ。」(日本円で2000円、南アの通貨では100ランドの意味である)「私の給料ではとても買えないわ。それくれない?」「ジンバブエに持っていくつもりなんだ。」「またここに戻ってくる?」「たぶん。」「その時くれない?」「うーん。」…結局あげることにした。家に持って帰っても聞くことはないし、彼女のもとにあるほうが、このラジオも幸せかもしれないと思ったのである。
彼女は、私が戻って来た時、その巨体をゆすって「オカエリナサイ!」と言った。当然お目当てはラジオだったと思う。約束どおりラジオをあげると、さっそく腰にぶらさげて、アフリカンポップをフルボリュームでかけながら、ニコニコとご機嫌で掃除をしていた。また他のスタッフから「写真を撮ってくれないか。」と言われ、警備のオジイサンや他の女性スタッフの写真も撮って日本から送ってあげた。彼らが、着飾ってポーズをとる姿をファインダーから覗きながら前述の「日本人と言う、どちらにも属さず、またどちらにも属せるという新たな装置」であることを認識したのである。
「アパルトヘイトは消滅したか」と題したこの南アのシリーズは、さらに後日に続けたい。
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アフリカ人から見ると日本人はアジア人の一種という感覚でしょうか?それとも日本人は日本人というカテゴリがあるのでしょうか?それとも国籍ではなく、顔の色が白でも黄色でもないことが重要なのでしょうか?
返信削除日本人から見るとガーナ人とナイジェリア人の違いを意識することはありません。なので南アフリカ人にとっては日本人と韓国人の違いは大した差では無い気がします。katabira no tsujiさんは日本人ならではの装置としての機能を感じましたか?
日本人は、大きく見ると「白人」と見られていると思います。「日本」は、TOYOTAであり、SONYであり、YAMAHAなのです。しかし、彼らに対する物腰が欧米人とは違うという感覚は強いと思います。韓国の人々は、そういう意味で、「ヒュンダイでありサムソン」になりつつあります。彼らの物腰も日本に近い。製品を買ってもらうために頭をさげますし、お客様なのです。韓国は第二の日本という感じでしょうか。中国は、日本や韓国に比べて、中華思想が強いので、凄いアフリカ支援をしているわりに、私の言う装置ではないような気がします。(松本仁一のアフリカ・レポートにそうありました。私は向こうで直接中国人と会っていないので…)アフリカの為とか、国際協力とかいう発想ではない。人間学から見るとそんな感じがします。あくまで私の私見ですが…。
返信削除日本人として生まれて来たことも機能として考えればまだまだ出来ることがありますね。自分なりの道を見つけたいです。
返信削除「日本人」のいい意味での気質でしょうねえ。
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