2015年5月14日木曜日

アムトラックの思い出

http://www.987thebull.com/win-an-amtrak-train-ride/
ブルンジで、クーデターが起こったらしい。マリでも武装勢力が勢いを増しているらしい。核拡散防止条約の最終文書で中国が「被爆地訪問」削除要求を出したらしい。韓国では日本の世界遺産を国会で否定したらしい。などなどエントリーしたいことはたくさんあるのだが、今日はあえてアメリカのアムトラックの話。そう、フィラディルフィア近郊での事故を受けてのことである。

http://leaseneko.blog.fc2.
com/blog-entry-484.html
私は、このニューヨーク・ワシントンDC間のアムトラックに乗ったことがある。ニューヨークはペン駅から乗ることになる。この駅は、エンパイアステートビルのすぐ近く、マジソン・スクウェア・ガーデンの地下にある。私が乗った当時は片道$60くらいだったと思う。米会話の本どおり読んで切符を買ったら、2枚出てきたのを思い出す。情けないことに"TO"が"TWO"と聞こえたらしい。あわててサバイバルイングリッシュで1枚に変更してもらった。格好良くいこうというのは間違いだとわかった。(笑)

アムトラックは、発車ベルもなく静かに動き出す。日本のような無駄に親切な鉄道ではない。地下駅からハドソン川の下をくぐって、外に出るともうニュージャージー州である。ガーデンステートというニックネームは伊達ではない。まさに園芸農業地帯で、大都市近郊の農業はこうなるという地理の教科書どおりである。フィラデェルフィアに近づくと郊外の住宅が市の周辺に発達しているのがよくわかる。中心部に近づくにしたがって、沿線のレンガなどに落書きが増えてくる。治安が悪そうだ。ドーナツ現象のモデルを見せつけられた。この頃のアメリカでは、都市部に黒人が取り残され、財政が悪化、白人が郊外に脱出するという状況が多く報告されていた。メリーランドの湿原地帯を抜けると商都ボルチモア。ワシントンDCのユニオン駅はあと少しである。ユニオン駅は、地上駅である。駅前広場には50州の州旗が翻り、構内は素敵なお店が並ぶ。ここで、民主党のロバが胸に刺繍されたポロシャツや車掌車(緩急車)の鉄道模型を買ったりしたこともある。

このアムトラック、私にとっては思いい入れの強い鉄道なのだ。それが、まるで尼崎の事故のように高速でカーブに突っ込み脱線してしまったという。誠に残念である。詳しいことはこれから先わかってくると思う。

アメリカの交通機関としては、旅客鉄道はかなりマイナーであることは確かだ。(貨物の鉄道輸送は意外にメジャーである。)だが、このニューヨーク・ワシントンDC路線は大西洋メガロポリスを結ぶメジャーなドル箱路線。日本の東海道新幹線のちょっと遅い版と言っていい。これがかなりの間不通になるらしい。もちろん、航空機の路線は、シャトル便がガンガン飛んでいる。ニューヨークには、国際線の玄関口・JFK空港、国内線のラガーディア空港、さらにニュージャージー州にニューアーク空港と3つの空港がある。ワシントンDCにも国際線の玄関口・ダレス空港、国内線のナショナル空港(今はレーガン空港という名前になったらしい。)がある。ちなみに、私はダレス空港はもちろん、ナショナル空港も利用したことがある。ナショナル空港からボストンに飛んだのだった。ナショナル空港は市内にかなり近い。だから、おそらく増便されるんだろうな、と思う。

とりとめもない思い出話とアメリカの薀蓄のエントリーになってしまった。ちょっと反省。

2015年5月13日水曜日

中間考査対策プリント’15

この3年間、担任として同じ生徒に接してきた。私の授業のやり方など周知の事実で、気を使うこともなかったのだが、今年は初めての生徒を受け持っている。私は、定期試験前には、特別な試験対策プリントをつくっている。試験ができてから作成するプリントであるので、これをやればある程度点数が取れるという触れ込みのものである。(笑)

ただ、解答のプリントは出さない。解答を出すと、生徒は丸写しすることになる。私の対策プリントは、あくまで自分で学習するためのツールなのだ。今回は、最初だということもあって、ちょっと気合を入れて作った。今回の世界史Bの対策プリントは、まず旧約聖書の内容を整理するところから始まっている。創世記から出エジプト記の主な流れと家系図を真ん中に書き、ポイントなどを漫画の吹き出しのように整理するようにしてある。アダムとイヴの息子たちや、アブラハムの一族を書き込むことになっている。さらにユダヤ教の概念図やキリスト教の学習ポイントも細かく整理するようにしてある。

画像はないが、裏面にはイスラム教の学習ポイントと、登場した人名(アブラハムやパウロなど)の英語読みなどとともに、そんな人物かをまとめる表と、語句(終末や救世主など)のヘブライ読みやギリシア語読みとその意味をまとめる表を用意してみた。もちろん、人物名や語句は生徒がプリントを読みながら拾い集める努力が必要になっている。対策プリントは両面刷なのである。これを完成させるだけで、かなり勉強しなければならないはずだ。

生徒はよく「ここを丸暗記したら点取れますかあ?」などど聞く。私は「理解していないと無理。」と答える。私の試験はほとんど記号だ。だから正確な暗記能力より、理解した上で頭にひっかかっていれば回答できるのだ。私は社会科は暗記教科であることを否定はしないが、それ以上に理解のほうが大事だと思っている。

今回は問題数は97問と生徒に伝えてある。3問だけは記号ではなく書き込む解答ということだ。これも生徒に伝えておいた。さてさて、初めての私の試験、初体験の3年生たちはどう取り組んでくれるだろうか、授業態度が真面目なだけに大いに楽しみである。

2015年5月12日火曜日

不快指数の高い大阪の一日

http://blogs.yahoo.co.jp/kabanomo/32122147.html
昨日のドライアイな一日に続いて、今日は不快指数の高い一日だった。台風6号が近畿にも近づいているとのことで、3限目の世界史の授業時には雨が降っていた。今年の3年生は、極めておとなしいクラスが多い。試験前だし、こっちも熱が入る。最初窓が開いていて、少し涼しい風も吹いてきて、快調だった。ところが、学校の近くをでかい音量で選挙カーのような車が走っている。どうやら、この日曜日の住民投票への政治活動のようだ。気をきかした生徒が窓を閉めてくれた。

うん。かなり静かになったぞ。と、さらに講義に力を入れていた。なぜキリスト教国が先進国となったのか?律法の成就という概念から、ユダヤ教・キリスト教の律法やシャリーアの体系と比較しながら熱弁していたのだった。するとどうだろう、汗がダラダラと流れてくる。

授業が終わって職員室へ帰るとヘトヘトになった。まるでサウナでスクワットを100回したような体力消耗だった。

あの時、住民投票の車が大音声で走っていなければ、こんなに体力消耗することもなかったような気がする。普通の選挙の終盤でも、学校のそばでは、連呼さえも遠慮するのが常識ではないか。大阪市がおかしくなった、と痛感しているのは私だけではないと思う。

2015年5月11日月曜日

試験作成 ドライアイな一日

http://ukiyo-e.org/image/ritsumei/shiUY0185
GWが終わって、今週は中間考査前の一週間。きっちりと授業がある。世界史Bの方は、一応先週に試験もつくり、試験準備のプリントも作成済みである。月曜日は4時間授業であるが、残る日本史演習の試験をずっと作っていた。

日本史演習の1学期中間のテーマは、「日本史を俯瞰する」である。まずは、古代・中世・近世・近代の時代区分の確認。これに天皇制をかぶせて見てみる。古代の権力者としての天皇が権威に変遷していく過程を「官位」で説いてみた。

清和源氏から生まれた武家政権だが、源頼朝は、幕府=将軍の許可なしでは官位=任官を認めないようになる。幕府>朝廷なわけだ。この犠牲になったのが源義経である。生徒に発問したら、この難しいクイズを答えてくれたりした。なかなかやるぞ。戦国時代には、織田信長など勝手に官位を家来に与えたりしている。官位は地に落ちるわけだが、これを江戸幕府なんぞは禁中並公家諸法度でギンギンに締め付けながら幕府の権威付に利用する。

天皇制は、このように長らく「権威」でしかない。それが、近代になって、一気に大日本帝国憲法で天皇主権になるわけだ。もちろん、幕末の志士の尊皇のスローガンはあったわけだが、それがすぐに結びつくわけでない。岩倉使節団が欧米で実感した違和感が大きな影響を与えている。大久保が資本主義化の重要性を感じ、桂小五郎が民主主義の確立の重要性、特に近代憲法の必要性を実感したわけだが、共にキリスト教が根ざしている欧米に違和感をもつのだ。憲法を作るときは、日本的なものにしなければならないと、それぞれが意見書を出している。その日本的な原点として、天皇を置くのである。暗殺と病死で二人を失うが、その後を継いだ伊藤博文は、この原則を守る。ただ、ドイツ風の憲法にした際、専制君主的な憲法に衣替えされてしまう。明治天皇は、五箇条の御誓文を心肝に染めておられたようで、自らは「権威」であり、「権力」を行使しないという立場を貫くのである。それが、どんどん変な方へと向かっていく。昭和初期には、天皇機関説が否定されていくのである。

一方、日本はなぜ植民地にならなかったか。というテーマで話した。これにはいくつかその理由がある。大前提としての日本の就学率・識字率の高さ。外来文化を受け入れる柔軟さ。武士の気概。特に多分に無謀な「攘夷」思想。(実際、攘夷を実践した薩摩・長州ともに開国派に転じている。)攘夷実践のために、洋学を学び、実際に軍事技術を吸収しつつ、一気に転換していったこと。さらに、徳川慶喜の恭順。これは水戸学の血を引く将軍が錦の御旗に敗北したといえる。この判断が薩長についていたイギリスと幕府を応援していたフランスの代理戦争を、はからずも回避することになる。勝海舟の江戸を内乱に巻き込まなかったことも大きい。戊辰戦争が全国的なものとならなかったことが、最終的に植民地化を防いだともいえるわけだ。

こんなことを試験にしていたのだった。授業時以外、ずっとPCに向かっていた。ドライアイ?目の焦点が合わなくなってしまった。もう歳なんだよなあ。

2015年5月10日日曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート5

https://permacultureghana.
wordpress.com/the-solutions/
sustainable-cocoa-farming/
「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)で学んだ内容のエントリーを続けたい。今日は、植民地支配が与えたアフリカ経済への影響についてである。

移民型植民地と小農型植民地における貧困の遺産の比較
ヨーロッパによる分割前夜から、アフリカはすでに輸出向け農業において比較優位を示していた。西アフリカでは、ガーナでカカオの栽培に参入したイギリス人農場経営者も、コートジボワールで強制労働の廃止後のフランス人農場経営者もアフリカ人農民との競争に直面し、衰退した。アフリカ人農民が要素賦存にうまく融合した土地粗放的な方法による生産に敗北したのである。一方、南アフリカにおいては金とダイヤモンドの開発で利益をあげるには労働コストを低く抑える必要があった。低賃金労働者を得るために政府は土地を収奪し、強制的に移住させ、借地農としてではなく不熟練の出稼ぎ労働者として働く以外にヨーロッパ人の所有する土地や鉱山や都市で働くことを禁止した。これでようやく鉱業で比較優位を得たのである。

富と所得の分配は「小農型」よりも「移民型」のほうが、現在も不平等なままである。移民型の代表である南ア、ジンバブエの実質賃金の低さは、「小農型」のガーナやウガンダ、中間型のケニアの比ではない。

アフリカの工業化が進まなかった理由
アフリカの工業化が進んでいない最大の理由は人口問題である。アジアのように人口が多くなく、労働集約型の工業のルートをたどることがなかったのである。とはいえ、アフリカ諸国が独立を達成した時点で、南アには大規模な製造業部門が存在していた。これは、鉱業で得た資金を製造業に回し、輸出代替工業を保護関税で守る南ア政府の政策の賜物であった。したがって、国内の消費者価格が世界市場価格を上回っていた。南アでさえ、工業は比較優位をもっていなかったわけで、他のアフリカ諸国にいたっては当然である。ところでサブ=サハラ・アフリカの人口は1900年から1960年の間に2倍に増加したと推定されている。就学率も、1950年~60年の間に2倍ないし3倍になっている。しかし、まだまだ高い質の労働者の供給には十分ではないという。

…比較優位という切り口で植民地支配が与えたアフリカへの経済的影響を考えるというのは、なかなか面白い。

2015年5月9日土曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート4

http://heartofdarknessimperia
lisminthecongo.wiki
spaces.com/The+Berlin+Confer
ence+and+the+Scramble+for+Africa
このところ、アフリカのことをエントリーしていない。「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)で学んだ内容を久しぶりにエントリーしようと思う。今日は、アフリカの植民地支配についての確認事項である。やはり補足的な知識が面白い。

アフリカの分割の真実
19世紀後半までヨーロッパ列強は、一部(ケープと北アフリカ)を除いてアフリカの植民地化にあまり熱心ではなかった。この状況に変化をもたらしたのはベルギー国王レオポルド2世である。1880年代初頭にコンゴ盆地全域の権益を得ようとしたので、ドイツが会議の開催を呼びかけた。これが、アフリカ全土の分割に拍車をかけた。実効支配が進んだのである。とはいえ、この支配は他の列強を締め出すことが主眼で、本国の納税者は植民地に財政的自立を望んだ。統治費用の収入源はアフリカ人社会に見出すか、経済開発によって課税可能な所得源を生み出すことが必要となったのである。
イギリス得意の間接統治は、人件費削減という目的があったのである。一方、フランスは同化政策を打ち出す。アフリカ人が最高のフランス文明のエッセンスを獲得できると信じたのだが、セネガルなどでは成功したかに見えたものの画一的文化の押し付けに破綻をきたし、やがてイギリス流の統治を取り入れていく。白人の入植と商業用目的のために土地が収奪された「移民型」植民地では、アフリカ人の抵抗が長く続く。ドイツ領東アフリカのマジマジの蜂起、ショナ人とンデベレ人の一斉蜂起(チムレンガ)などがそれにあたる。一方、西アフリカでは植民地支配前数世代に渡ってヨーロッパの商業的文化的影響を受けていた故に、小農たちが商品作物を栽培し、富裕なアフリカ人商人のネットワークが形成されていた。厳しい気候と現地の病気のためヨーロッパ人の移民は難しく、ヨーロッパ化されたアフリカ人エリートが台頭した。すなわちアフリカ各地で、植民地化の過程で多様な動きがあったわけだ。

WWⅡのアフリカの脱植民地への影響
WWⅡで徴兵されたアフリカ人たちは、軍事経験をするとともに異なる地域出身者と接することになる。これは後の独立運動にも影響する。イタリアは北アフリカと東アフリカで植民地から排除されたし、フランスが降伏後は植民地も混乱に陥った。一方、戦中は戦略物資、復興期はアフリカの資源と開発が進められ、経済が発展する。この圧迫的な経済的変化は、商品作物の栽培の増産で食用穀物の生産が阻害され、多くの人びとが農村から都市に移動しスラムを形成した。この新しく流入した賃金労働者から植民地支配からの開放を支持していく。同時に、WWⅡ以降のアジアのナショナリズムの成功に大きな刺激を受けるのである。

2015年5月8日金曜日

日経 JAXAの宇宙太陽光発電

私は完全文系なので科学技術の記事を読むことは珍しい。それくらいこの記事は魅力的だったわけだ。宇宙空間に太陽光パネルを浮かべ、作った電力を地球に無線で送るという壮大な計画があるそうだ。

そもそも電力を無線で送る=無線給電ということが可能だというのが凄い。JAXAが3月にこの無線給電の実験に成功したらしい。三菱電機の兵庫県内の施設で、電気エネルギーを電子レンジや携帯電話などにつかう「マイクロ波」に変換、55m先に正確に送れたという。300W=パソコン3台分の電力を取り出すことに成功したとのこと。すごい話だが、電力の5~10%ほどを送れたにすぎない。

この先にあるのが、宇宙空間に2km四方の太陽光パネルを浮かべる構想。これで100万kwの発電能力が生まれる。ただし、現在の日本のH2Aロケットで運ぶと1000回の打ち上げが必要だとか。1兆2436億円の費用がかかるらしい。凄い話だなあ。

最大の問題は「電離層」とのこと。よくわからないが、電波の方向を変えたり吸収する層があるとのことで、送電・受電の効率も50%を地表に送れなければ実用化は難しいらしい。安全性の問題もあるよな。

とはいえ、この壮大な計画、すばらしいと私は思う。このプロジェクトの進展の中で様々な新しい技術が生まれてくるだろうと思う。モーニングでじっくり読んでいて、いつもよりかなり登校時間が遅くなってしまった。(笑)

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO86490090X00C15A5TJN000/