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| https://www.youtube.com/watch?v=6t569cXfbdM |
極めて理性的、崇高な文章である。まず冥福を祈ると述べられた後、この件について発信するかどうか悩み続けたと書かれている。生命の問題であることから、覚悟をもって書き残すこととされたとのこと。通夜のご焼香の後、誰よりも深く、長く、頭を下げてくださった方が、この先生であり、コトバ以上のものを伝えてくれたと書かれている。
亡くなった先生は、沖縄研修旅行に深く関わった方で、研修旅行の文集を読み返すと、次のような文言があるとのこと。先生は沖縄の現状ととの「溝」を沖縄の側から深く心を寄せてきた方だとわかる。一方で生徒たちが「退いて」しまうこともあり、それを責める気に離れない。と両方の立場の間に立って悩んでいる人の言葉が記されていた。親としては、講師やガイドの政治生徒が退くほどの批判が行われてきたことについては複雑だが、その流れに1人で抗うとことはできないままだった姿が見える。先生にとっての「平和を作り出す人」とは、他者と沖縄の溝、社会にひろくある溝を埋める側に立つ人である。だが、自分の強いこだわりが生徒や教員に一方的に物事を進めてしまったように思っているという記述もあった。
これらを踏まえて上で、3つだけ書かせてくださいと、謙虚に書かれている。1つ目は、この事故は誰か一人の判断で起きたわけではなく、本来みんなで分かち合うべき事が、誰が1人の肩に乗ることはあってはならないと思うこと。2つ目は先生が亡くなられたことが検証を終える理由になってならない。終えてしまうことは先生に対しても礼を失することになる。3つ目は、生徒の皆さんに対して。「この事故を巡って、大人たちが責任とそう向き合うかを見ていくことになります。だから、これだけは覚えていてください。責任は生命で取るものではありません。生きて、事実を語り、間違いを認め、変えていくことでしか、果たせないのです。命ある限り、今日を生きてください。」(原文のママ)
学校の中には、今も思い詰めている先生がいると聞いている。もしかすると学校の外の関係者にもいるかもしれない。「もし墓前に手を合わせることで、少しでも心の荷が降りると感じる方がいたら、いつでも来てください。」(原文のママ)さらに、すべての先生、生徒、関係者の命が守れることを切に切に願っており、つらい気持ちを抱えている方は、どうか1人で抱ないで欲しいと、二度目の哀悼の意と共にコメントを結ばれている。
…なんという理性的な文章であることか。なんと崇高な文章であることか。私が当事者であれば絶対に書くことは出来ない。この16回目となる事件考では、毎回教育関係者として私は記している。昭和の教師としては、聖職という意識がどうしても離れない。だから、あえて、ここに書かれている「先生」を報告書のa7氏に戻す。
…a7氏の「溝」を埋めるという考えは悪くないと思う。私も様々な問題で「溝」を埋めるようなこともしてきた。だが、彼が信じて託した沖縄の左翼運動家は、この溝を埋めるためではなく、生徒諸君を自分たちが信じる正義にオルグしようとしただけではなかったか。左翼的なスターリニズムには、思想的な正義とそれに反対する悪の二元論が支配している。人間という視点が欠けている。人間としてゆるせない行為が多々この事件にはある。危険な防波堤からの乗船、波浪注意報での出港、事故の後「船長死んじゃったよ」と発言したもう1人の、今は行方をくらましている船長の存在。傲慢な腕組みをした左翼の運動家。不誠実な学校の姿勢。a7氏は病院や遺体の空輸に立ち会ったのか。そして保身だけの元学校長。a7氏は、おそらく学校をも信じられなくなり、彼の言う「溝」が大きく広がり、彼の正義の土台は崩れ落ちたと私は推測する。
…保護者の方の理性的で崇高な文章の後に、私の所感をはさんで申し訳なく思うが、あらためて、このコメントの最も重要な部分は、「この事故を巡って、大人たちが責任とそう向き合うかを見ていくことになります。だから、これだけは覚えていてください。責任は生命で取るものではありません。生きて、事実を語り、間違いを認め、変えていくことでしか、果たせないのです。命ある限り、今日を生きてください。」であると思う。さて、保身の塊である同志社国際高校は、どう大人の責任を向き合うのだろう。この保護者の方の言は重い。
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