予約が無事終わって、妻と話していたら、我が高校では放送部が彼らのデビューアルバムである「ぼちぼち行こか」の中の「大阪へ出てきてから」を毎日昼休みに流していたよね、と言っていた。たしかにそうだった。変な学校である。(笑)いや、近くの普通科2番手の府立S高校でも、友人が見せてくれた修学旅行の歌集に、同じアルバムの「俺の借金全部でなんぼや」が載っていた。実際、バス車中でアカペラで歌えたかどうかは不明。(昭和の時代は、こういうバス内でみんなで歌う歌集などをつくっていたものだ。)
おそらく、我が生涯で、最も多くライブにいったのは、上田正樹だと思う。かの「悲しい色やね」がヒットして、黒柳徹子が司会のベストテンという番組が生中継した大阪・バナナホールに私もいた。T商業高校の我がクラスの掲示板に、その時のポスターを貼っていた記憶がある。ホントまだ若かった頃だ。我が青春とともに彼らはある。
おそらく小さなホールだし、バンドを引き連れての、R&Bやソウルではないだろう。もう70歳を超えているはずだし。こっちも白髪になっているし、キー坊(上田正樹のこと)もこのところ毛糸の帽子を被っている。…我が白秋とともに彼らはある。
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