市民大学の会場となった関西外大ICC6411教室(楕円形の建物) |
今日の講義のテーマは、アフリカの呪術的なるものは、頻度こそ違うが日本にもあるということであった。
まずは、ナイジェリアのラゴスでの現地調査で知り得た交通事故の話から始まった。医療従事者の男性が、ありえない状況下で幼児を轢いてしまう話なのだが、父がアジェ(ヨルバ語:英語だとwitch)で呪いをかけられたと信じているという話だった。幸い3日間留置場に入ったが被害者のはからいでそれだけで終わったらしい。近藤先生によると、アフリカでも普段は合理的思考であるが、very strangeな状況下では、呪術的思考のスイッチが入るとのこと。
このスイッチが入る状況について3パターンが示された。その第一は、起こっていることが奇妙であること。米国の文化人類学者の報告からニジェールでの話が語られた。第二は、想定外の事態に遭遇した場合。これは前述のナイジェリアの話、あるいは南スーダンのアサンデの穀物倉庫が崩れて被害に合う人の話。誰しもがその原因がシロアリにあることはわかっているのだが、何故その人に災いがふったのか、それはマング(アザンデ語)である。予想外のことで説明できないことを説明しようとしてしまうわけだ。第三は、こんなはずじゃなかったという状況。特に何故か不幸になってしまうことで、南アの米国の文化人類学者の助手の話。これも不幸になった理由が説明できない故に呪術的思考に陥るという。
なかなか、日本での事例も含めて面白かった。特に参加者にこういう呪術的思考の経験を尋ねて日本との共通性を講じられた。最後に、ナーガルジュナの一眼の亀の話とコンゴ民主共和国のキンシャサのストリートチルドレンでwitchだとされた少年、それを救済しようとする教会の話なども伺った。
実に興味深い内容で、夫婦して満足し帰路についたのだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿