私自身は、長州の志士はあまり好きではない。我がブログの「留魂録」は松陰の遺書からとっているのだが、そのポリシーを好んでいるのであって、吉田松陰その人については、純粋すぎて異常な過激派の親分であると思っている。
この本を読んで、久坂玄瑞についても、結局好きになれなかった。何故だろうか。
長州・毛利家は関ケ原で敗者となり、領地を甚だ削られた。毎年正月には、今年こそ幕府を打ちましょうかと、家老が藩主に尋ねることが儀式となっていたという。積年の恨みをもっていた。後に雄藩となり力を蓄えるのだが、藩としては融通がきくというか、組織としてはタガが外れているところがある。金使いは荒いし、藩士も好き勝手に動くきらいがある。長州ファイブなどはその典型である。慎重なのは、逃げの桂(木戸孝允)くらいで、とにかくぶっ飛んだ人間が多い。要するに、公ではなく私の集団なのだ。
薩摩藩のある意味で統制(というか各人の向かうベクトルが島津斉彬のベクトルに近い)という部分で、長州とは大きく違うように見える。まあ、統制が取れているという意味では松平容保の会津藩。私は、会津のほうが美しいと思う。次に薩摩。長州は全く美しくないと思っている。さらに維新後の新政府での私心に走った姿、傲慢さがさらに評価を下げる。
久坂玄瑞は、蛤御門の変で死んでいるので、維新後の話は関係ないのだが、松陰や玄瑞の純粋性は結局、暴発に過ぎず、無に帰したような気がする。そんな読後感であった。星2つくらいかな。残念。
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