2022年11月14日月曜日

司馬遼の歴史の中の邂逅4①

市立図書館で、司馬遼太郎の「歴史のなかの邂逅」4巻と6巻を借りて読んでいる。司馬遼が様々な雑誌等に寄稿した文章である。4巻の中で特に印象に残った内容をエントリーしておきたい。

黒鍬者の話が出てくる。近藤勇が甲州に向かった時、土方歳三が菜葉隊の支援を頼みにくのであるが、そのトップが江原素六で黒鍬者出身である。戦国期から最下層の御家人として戦場の掃除をしたり、城普請をしたりと現在の工兵隊のような仕事もしていた人々である。この江原素六が幼い頃爪楊枝をつくる内職に励んでいた。この爪楊枝(現在の歯ブラシ)は、古代インドで原始仏教教団の日常規範に入っていたと、法顕の「仏国記」にあるそうだ。中国に伝わり、日本にも仏教伝来とともに伝わったが、中国では一般化しなかった。日本では平安期には貴族や僧侶が使い、庶民にも及んだ。 

さて、ここで唐突に道元の話が出てくる。道元が入宋した際、彼の地で多くを得つつも、少なからず失望した。宋僧の不潔さにである。道元は清潔をやかましくいう人で、正法眼蔵の「洗面」の項において、常に身を清めておくことは仏法の基礎とし、経典に拠りつつ、袈裟の洗濯のしかた、体の洗い方、洗面の方法、手ぬぐいの使い方までくわしく規定している。彼は、宋で仏祖の大道が衰えたとする。僧たちにこの点について問籍(もんじゃく)を試みた。僧たちは失色して度を失したという。

天下の出家・在家、ともにその口気はなはだくさし。二三尺をへだててものをいふとき、口臭きたる。かぐものたへがたし。

…道元もなかなか強烈である。

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