2022年11月17日木曜日

司馬遼の歴史の中の邂逅6③

https://xn--lbrx7b39ff5mg5z
k42a.com/futsuu/futsu1_100/1
yen_hutsuukitte_maejimahisoka
江戸遷都の前に、新政府では大阪遷都の話が大久保から出て、盟友の岩倉を除く京都の公家たちが大反対した。この反対を受けて、大久保は、大阪遷都には莫大な費用がかかることに気づく。そんな混乱時に、大久保の私邸に匿名の投書があった。その文章は堂々たるもので、論旨も明快で、無名の市井人のものとは思えなかった。「大久保市蔵君 座下」の巻頭で始まっていた。関東・東北の土人がなお新政府に疑問をいだき、戦意をもっている時に、江戸の押さえを捨てて大阪に帝都を設けるのは感心しない。大阪に遷都となれば新しく政府の建物を新築せねばならないが、江戸にはそれらが全て揃っている。大阪は帝都にしなくとも衰えないだろうが、江戸は市民四方に離散する。国家のためにはなはだ愛惜にたえない、という内容だった。この投書が、遷都に踏み切った。

この投書は、前島密によるものだった。元幕臣ながら学才をかわれ、郵便事業の研究のために英国へ派遣された郵便制度の父である。後年、大久保は後年、数人の政府高官と維新前後のことを回想していた時、この投書の話が出た。眼の前に前島がいたのだが、彼は功を誇らない人間だったから黙然としていた。同席の人物が、前島からその秘話を聞いていたので、「前島君ですよ。」と言った。大久保は膝を打ち、感嘆してしばらく言葉がなかったという。

まさに秘話。ちょっと驚いた。前島密、さすがである。

0 件のコメント:

コメントを投稿