2017年2月18日土曜日

イスラーム生誕を読む。

先日、6冊の本を入手した話をエントリーしたが、実はその前の日本人会の古本市で1冊の文庫を手に入れた。それが、井筒俊彦著「イスラーム生誕」(中公文庫/1990年8月発行)である。著者の井筒氏は、東洋学の権威であり、文庫本といえど、バリバリの「学術書」である。私のイスラームの学びは、主として中田考氏の著作が多い。中田氏はイスラム法学者であり、敬虔なムスリムでもある。一方、井筒氏はあくまで、学者としての視点で、この本を書いている。その相違を実感しながら読むのもまた趣を感じる次第。

この井筒本は、第一部のムハンマド伝(これは若い頃の著作)と第二部のイスラームとは何か(これはおとなになってからの著作:著者のあとがきの言)で、30年近い時間の経過があるそうである。ある意味珍しい本である。

特に印象に残ったことを記しておきたい。「学術書」として、井筒氏は「ジャーヒリーヤ」(無道時代:イスラーム成立以前のアラブ世界)について、詳しく述べている。このジャーヒリーヤの精神との対比から、ムハンマドの生涯を描いている。ムハンマドが啓示を受けてイスラームを開くとき、アラブ世界もまた混迷していたことがまず重要だ。まるで、ソクラテスのアテネ、孔子の春秋戦国時代のような実存的混迷が、そこにあったわけだ。したがって、クルアーンのメディナでの啓示は、「警告」をひたすら説く。神を怖れ、神の権威の前に一切の人間的自負心を棄てて跪(ひざまず)く服従の精神、これがイスラームである、ムハンマドは、ジャーヒリーヤとの激しい対立を生起させたのである。

一方、そもそも、アッラーは、井筒氏によれば、アラビア語でのThe GODの意味で、新たな語彙ではなく、カアバ神殿には、アッラーが主神で、その他の部族の神も祭られていたそうだ。これらの偶像を破壊してからは、「警告」から神の「慈悲」、そして神への「感謝」が啓示されるようになる。これがメッカ啓示である、というわけだ。また意外に、当時のアラビア半島には、ユダヤ人やキリスト教徒が居住しており、これら啓典の民の宗教的素養を知悉している詩人などもいたり、ムハンマドとはほぼ同志的な存在だったといえる(実際はイスラムの敵とされた)ウマイヤ・イブン・アビー・アッサルトのようなアブラハムの宗教への回帰を説く(ハニーフと呼ばれるそうだ。)詩人の存在も書かれていて、新鮮な知的刺激を受けた1冊であった。

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