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海洋国家である日本は、鎖国時代、4つの外交窓口を持っていた。まずは当時の最強の海洋国家だが、カトリックと違い布教する気がないカルヴァン派のオランダとの窓口=長崎である。さらに朝鮮との窓口=対馬。それに、清と貿易関係をもっていた琉球と蝦夷全域と、樺太や東シベリアとの交易を行っていた松前藩である。当時の日本としては、必要かつ十分なネットワークだったと佐藤優は言う。1850年代、この鎖国体制が崩れるのは周知の通り。アメリカに、かなり強引に開国させられるわけだが、アメリカが求めたのは「水・食糧・石炭」といったエネルギー供給と通商であって帝国主義的な侵略ではなかった。
ここで、佐藤優氏は面白い命題を掲げる。もし、ロシアと先に国交を開いてら?というのである。これも周知の通り、当時、ロシアも何度も開国を求めてきた。しかし、意外にも強硬ではなく、根室から長崎へとたらい回しにされながらも我慢強く交渉を求めてきた。佐藤優氏は、その理由をロシア正教のひろめ方と関係しているとする。ロシア正教は、その土地の土着の言葉で典礼を行い、その国の風俗を習慣に合わせていくという特徴を持つ。しかも、当時のロシアは日本人との接触が多く、大黒屋光太夫のような漂流民を保護し、日本語教育も行っていた。そこで、日本人の気質を考慮して、時間をかけて説得するという方法をとっていた。だとすると、巧妙に日本が取り込まれていくというシナリオもあり、フィンランドのような自治を認められるカタチでロシア帝国に取り込まれていたかもしれないというわけである。
佐藤優氏はこのようにも述べている。1850年代にアメリカと最初に国交を開いたことは、実は日本にとって幸運だったのではないか。ロシア帝国に組み込まれもしなかったし、イギリスが先に来ていたら植民地化された可能性もある。アメリカもあと20年遅れて来たとしても、フィリピンのように植民地化されていたかもしれない。なぜなら、アメリカは、日本を開国させた後、南北戦争で対外政策がストップしてしまったからである。70年代に入り、アメリカが帝国主義化した時には、すでに日本は体制を変換することができていたというわけだ。
ロシア正教の布教が、その土地の言語・風俗・習慣に合わせていくという視点で日本の開国を見るという方法、実に面白い。カトリシズムやカルバン派とも違う。いつもながら、こういうキリスト教理解、さらにもっと広く言えば、一神教の個々の宗派的な理解は、社会科学を教える上で、極めて重要だと思うのだ。
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