2016年10月2日日曜日

大森実「ヒトラー」を再読す。(1)

大森実の「人物現代史」を再読していることを先日エントリーした。第一巻のヒトラーを読んでいて、印象に残っている部分を残しておこうと思う。とはいえ、かなりマニアックな話になると思うが…。

WWⅠで、ソビエト=ロシアはドイツと講和するのだが、この時の講和条件は無茶苦茶なものであった。ポーランド、バルト三国、ウクライナ、コーカサスの主権放棄、60億マルクの賠償金、鉄道の1/3、鉄鉱生産の73%、石炭の89%の現物賠償…。トロツキーは「戦争でもない、講和でもない。」と言って席を蹴ったが、レーニンは「条件を飲もう。今にドイツでも革命が起こる。」とトロツキーを制してギャンブルを打ったという話。で、その読みが当たるのである。

…WWⅠまでは、戦争は国家の権利というのが戦争論の主軸であったわけで、ドイツの講和時の主張は、そのまま因果応報でベルサイユ条約に跳ね返る。生産性の向上による武器供給の増大と国民国家化による兵士の供給増大が可能になったが故の数字である。そういう方程式が成り立つのだが、それまでの普仏戦争などとはとはかなり趣が違う。今年は、総合科目でそういう歴史を語ったのだった。さらにWWⅠの反省から、国際連盟で集団的安全保障が語られ、WWⅡ以後は侵略戦争の否定へと戦争論は変化していく。ちなみにスエズ動乱は、英仏がスエズ運河をエジプトから取り戻すべく侵略戦争をイスラエルに行わせ、これを支援するカタチで行われた。いつもながら英仏はやることが凄い。

ドイツの戦後賠償をめぐっては、ケインズがその会議の席を蹴ったことが有名だ。ところで、ウィルソン米大統領の代表団の中に、ジョン・フォスター・ダレスがいて、ケインズの考えに同調していた。後年、WWⅡの対日講和で彼が主導権を握る(トルーマン時代は国務長官顧問・アイゼンハワー大統領時代の国務長官/ワシントンDCの空港名は彼の名を冠している。有名なCIA長官は実弟。)が、日本には賠償を課さなかった。大森実はこう書いている。「日本はベルサイユ条約とヒトラーのお陰で、肺臓や心臓部の切開手術を免れたといえよう。」

…アメリカという国は、単純明快な国なのか、複雑で巧緻にたけた国なのか未だわからないところが多い。おそらくはその両面性をもっているのだろうが、アメリカにのふところに飛び込んで最後まで対抗した大森実がそう書いているのだから、その示唆を受け入れたいと思う次第。

WWⅠでドイツが敗れた後も武装解除せず、ソ連で白色革命を戦っていた軍があった。バイエルン州のソビエト政権下にあったヒトラーたちを解放したのは、その1つでチューリンゲンの森で結成された「バイエルン義勇軍」であった。面白いのは、その中に、レーム大尉とルドルフ・ヘス少尉がいたことだ。このことを大森実は「記憶に留めておかれたい。」と書いている。

…レーム大尉は、SA(ナチの暴力装置・突撃隊)の創始者で、後にヒトラーに粛清される人物。ヘスは後のナチの副総統である。こういう「水滸伝」的なナチの主要人物の出自と邂逅も面白い。

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