ところで、年末から正月にかけてTVを見ていて、妙に気になったCMがある。パックンが年越しそばにカップ麺を選ぶことについて、自論を述べているインタヴューのようなCMだ。
「ずっと疑問でした。年越しそばというカルチャーが。でも緑のたぬきのダシのしみたテンプラを一口食べた時に…全て受け入れました。」
https://www.youtube.com/watch?v=cU-BmYjiRnM
なぜ気になったのか。それは、パックンの最後の言葉、「…全て受け入れました。」にある。日本人は「(その理由を述べた後で)…全て受け入れました。」というような言い回しを決してしない。英語には、「I accept all.」という慣用句がある。それをパックンは日本語で言い切っているわけだ。極めて(神と人間が対立する欧米的な)二元論的なスタンスに立つコトバだ。
これをパックンという、インテリ(彼はハーバード出身だ。)の”芸人”が語るところがミソである。もし、同じ日本語を日本に詳しい外国人”学者”が述べたとしてもきっと違和感があると思う。インテリだが、親しみのあるパックンだからこそ、インパクトを与えているような気がする。そういう絶妙なバランスが、このCMにはある。
哲学的に見れば、既成の価値観(外国人が使う可能性がある非日本語的な日本語)を脱構築したCMであるわけだ。渋くて、CMの出来としては私はナカナカノモノであると思うのだ。
胸が痛い。私も、Y先生の手術の話を聞いて…全てを受け入れることにした。
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