毎日の社説には、民主主義を問い直す1年になるとあった。確かに日本国内でも、世界でもそういう1年になるだろうと思う。これにも大きな不安を抱かずにおれない。社説では、国家主導型の日本になることへの懸念と多様性を重視する必要性が説かれていた。私の不安を代弁するような内容であった。国際的にも、ポストモダンからモダンへ、モダンからプレモダンへの回帰が進み、ますます世界平和への道が閉ざされていっている。日本もアメリカもEUも、ロシアも中国も、そしてアフリカも、どうも閉塞感に包まれている。
昨年MDGsに代わるSDGsが発表された。私自身、このSDGsについてもじっくり研究していきたいのだが、年末から大きな壁にぶつかっている。(昨年度12月30日付ブログ参照)持続可能な開発とは何なのか?あらためて問い直していくと、大きな不安にぶつかってしまうのである。この件についてはまたじっくりと学び、考えた上で述べたいと思う。
今年、決まっているのは、上越教育大学で国際理解教育学会があって、昨年制作したホロコーストの人権教育教材を発表するだろう、という一点だけだ。
シンネン、アケマシテオメデトウゴザイマス。というには「不安」が重くのしかかる、2016年の幕開けである。とはいえ、読者の皆さん、今年もよろしくおねがいします。
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