せっかくなので昨夜のEテレ「100分de平和論」についてもエントリーしておこうと思う。4人のコメンテーターが、それぞれ1冊の本を提示して、平和について提言するという趣向である。
最初は斎藤環氏で、フロイドの『人はなぜ戦争をするのか』である。アインシュタインが国際連盟から、平和について著名人との往復書簡を求められた。彼が選んだのが同じユダヤ人のフロイドで、それに対する返信がこの本である。フロイドは、人間の暴力性について、生の欲動と死の欲動について分析した上で、これらは抑えきれないと結論づける。しかも、共同体感情は、生き残ることを求める生の欲動から生まれ、共同体のために死を選ぶという死の欲動を喚起すると述べている。まさに後のWWⅡを示唆していた。これらを抑えれるとすれば、感情的な絆、あるいは文化の力ではないかと述べている。だから、意外にも、第九条で戦争=悪という日本の国是はすでに文化となっていて大いに有効ではないかという話になった。なかなか面白い。
水野和夫氏は、ブローデルの『地中海』を挙げた。フランスの歴史学者であるブローデルは、WWⅡ中捕虜となり収容所で 16世紀の地中海世界を描くアイデアを温めていた。この16世紀に資本主義の萌芽、グローバル化の萌芽が見られる。特に、ジェノバの手形の発明、金融資本の成立が、スペインの戦争を助長し、富の集中と貧困の周辺化を生んだという。資本主義の根底に流れる経済的欲望は、平和へのアンチテーゼであるとする高橋氏は、年収800万円くらいがちょうどよい収入で、それ以上は人間を不幸にするだけだと述べたところが、実に面白かった。
田中優子氏は、井原西鶴の『日本永代蔵』であった。江戸時代の商いの知恵を説く。永代=持続、始末=循環を意味するという。江戸は参勤交代で、戦費となる貨幣を循環させ、平和を維持した。持続に大切なのは信頼関係であり、平和を持続させるのは信頼関係しかないと説く。
高橋源一郎氏は、ヴォルテールの『寛容論』である。1761年トゥールズで起こったプロテスタントに対する冤罪について告発したのがこの本である。理神論の立場から狂信を打ち破るのは人間の理性であり、自分にして欲しくないことは自分もしてはならないという単純な原理を説く。憎しみの連鎖を断ち切るという理性的個人主義に対して、日本は共同体感情に負けてしまうことが多いという話になる。自然な感情に逆らわねばならないというところについても議論が起こった。
正直なところ、この番組の後に控える『大人のピタゴラスイッチ』(可視化をテーマにした第4回目)を見るために時間つぶしで見ていたのだが、なかなか面白かったのだ。こういうEテレを見るのも、不可解なバラエティー番組からの逃避故のこと。ホント、正月である、と思う。(笑)
2016年1月3日日曜日
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