2014年6月4日水曜日

読売 天安門事件25周年

在ワシントンDC中国大使館
天安門事件から25周年の今日は、水曜日だ。いつも行くモーニングの店が定休日なので、学校近くの喫茶店に行った。ここには、いつも読んでいる日経がない。読売だけである。で、仕方なく読売新聞を読んでいたのだが、思わず目がテンになるような記事を見つけた。

ワシントンD.C.の中国大使館前の道の名を、ノーベル平和賞受賞者の民主活動家劉暁波(リウシャオボー)氏にちなんだ名前に変えるよう、民主党・共和党の連邦下院議員から市長に書簡が送られたというのだ。「基本的人権や民主化を求める中国の人たちに希望を与える」のが目的だと言う。ワシントンD.C.市長が、これを受けるかどうかはわからないが、現在書簡の中身を検討しているとのこと。冷戦時にソ連のノーベル平和賞をうけた反体制の民主運動家・サハロフ博士の名前をソ連大使館前の道路につけた前例があるらしい。

さすが、アメリカは民主主義という設計図でつくられた国である。良くも悪くも、自らの意見を前面に押し出してくる。その意見は個人の責任として完全に帰結している。日本では、いくら中国への反感や、民主化を指示する気持ちが強くとも、中国の反応をまず想定するので、こういう話は出てこないだろうと思う。アメリカの民主主義には、こういう日本人の「空気を読むという感性」はない。反対に言えば率直でわかりやすいともいえる。

このところ、中国の南シナ海でのベトナムとの衝突には、さすがの私もあきれている。現在の中国政府には、「仁」が欠けすぎている。日本の「空気を読む感性」は、相手の立場を慮る事である。これは、中国から学んだ「仁」のことでもある。(現状を鑑みて当分)民主化を否定するとしても、せめて「仁」だけは(儒家の)本家には、否定して欲しくない、と思ってしまうのだ。

天安門事件25周年。その前の、(周恩来首相の死去に際して花輪をささげ、撤去されたことに対し暴動が起こった)第1次天安門事件からは、39周年となる。人民に奉仕することを最優先した君子・周恩来氏が、もし生きておられたなら、今の中国に対してどういう思いをもたれるだろうか。

http://www.yomiuri.co.jp/world/20140604-OYT1T50034.html

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