ベルリン条約 |
期末考査の着地点は、第一次世界大戦に置いている。まずアメリカの南北戦争の話から始めた。保護貿易と自由貿易という南部と北部の対立を語っておく必要があったのだ。次にイギリスのビクトリア時代。自由主義と帝国主義の並立時代だ。さらに、少し時代をさかのぼってロシアの南下政策とオスマン=トルコ。バルカン問題は、この両者の熾烈な勢力争いに他の国がからんでくる。特に露土戦争後のビスマルク外交。こういう上部構造に、今再び、保護貿易と自由貿易の下部構造の話がかかわってくる。帝国主義と言うのは、イギリスの労働者賃金の上昇によって、ドイツに工業生産額で上回れた故に、保護貿易化したという視点が面白い。植民地を囲い込むという保護貿易体制こそ、英仏の帝国主義だ。これに挑戦するドイツの3B政策とバルカン問題が、第一次世界大戦勃発に発展するのだ。
今日の授業の主役はオスマン=トルコである。ベルリン条約で、ボロボロにされたイスラムの盟主。なぜ、こうなってしまったのか?という話をしていた。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教を軽く復習してから、ユダヤ教で言う律法という神の教えについての捕らえ方を比較してみた。多くの預言者によって、神のコトバを蓄積し、律法学者によって膨大なタルムードとしたユダヤ教。その形式化を批判し、律法の成就を説いたキリスト教。キリスト教では、律法よりイエスの福音を重視する。この福音、極めて柔軟で、ルネサンス以降、神の言葉・神の設計図を知ろうと言う自由な意志が容認されていく。もともと公会議でも多数決を主旨とするキリスト教には、近代科学を発展させる素養があったわけだ。民主主義も資本主義も、それによって爆発的に発展する近代科学もキリスト教を土台にしている。
一方、イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教を批判する形で生まれた。ムハンマドが示した神のコトバであるコーラン、彼の言行録であるハディースは、ユダヤ教の律法・タルムードに比べコンパクトだ。だからこそ、この啓示に含まれないものは、イジュマー(共同体での神学者の合意、ただし全員一致でないと神の意志とは認められない。)・キャース(類推)というシャリーアの法体系も、極めて合理的だ。だからこそ、イスラムは神に服従できるわけで、キリスト教に対して、人間個人の可塑性は極めて小さくなる。すでに神によって定められた政治・経済のあり方もきっちり存在している。近代国家の基礎となる、民主主義や資本主義が発展していく必要がない。
世界史的に見て、イスラム圏が近代以後、キリスト教圏に席巻されてしまった理由がここにあるように思う。(ずいぶん乱暴な理論かもしれないが…。)そんな話をしてから、イスラム原理主義の論理やボゴ・ハラムの女子生徒拉致の話などを熱く語っていると、さらに汗だくになるわけだ。
まったく、暑く、そして熱い一日だった。次の日曜日の国際理解学会での研究発表も念頭にしていたのだけれど、とても20分で語れる内容ではないことだけは、よーくわかったのだった。(笑)
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