大日本帝国憲法 発布の図 |
9.11の時、アメリカでは、一気にナショナリズムが高揚した。当時のブッシュ大統領が、「これは戦争だ!」と叫び、各地で膨大な数の星条旗がはためいた。さて、そんな中で、反戦の動きもニュースで伝えられた。1つは、オノ・ヨーコのPEACE。様々な媒体を使ってヨーコは反戦を訴えた。もう1つは無名の女子高校生の反戦運動である。ウエスト・ヴァージニア州のある高校で、反戦を訴えるTシャツを着て、日本で言うと生徒会活動のような形で反戦を訴えた事件だ。これを学校側が規制し、生徒は停学処分となった。当時、久米宏がキャスターをしていた某ニュース番組が、この事件を大きく取り上げ、アメリカのヒステリックな言論統制だ!と批判したのである。言論の自由であるから、キャンペーンをはるのは勝手だが、私は久米宏がエキサイトして、アメリカ批判の論説を重ねるのを冷やかな目で見ていたことを思い出す。
何故なら、この反戦を訴えた少女のいる場所が問題なのである。ウエスト・ヴァージニア州。カントリーロードの曲で有名なこの州は、アパラチア炭田があるプワー・ホワイトの州である。大した産業もなく、貧困家庭が多く、軍関係者に非常に多い州なのである。彼女がもし、カリフォルニア州のサンフランシスコあたりでこういう反戦を訴えたなら、停学処分などは受けなかったに違いない。場所が悪すぎるのである。久米らは、こういうアメリカの地域事情に無知すぎる。アメリカをステレオタイプに捉える日本のジャーナリズムの馬鹿さ加減に、嫌気がさしたのであった。
このことと、日本近現代史における統帥権の問題は深く結びついている。すなわち、軍に入るということは、貧困と結びついているということである。当時の学制では、優秀な貧乏人は、軍に入り立身出世するというルートが存在した。幼年学校、士官学校、陸軍・海軍大学、そして陸・海軍大臣にまで昇りつめれば、金持ちの出身である東京帝大出の閣僚とも、堂々と渡り合えた。職業軍人の多くは貧困家庭の出身である。何よりもまず、このことをまず押さえておきたい。…つづく。
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