2010年11月2日火曜日

「アフリカから学ぶ」に痺れる

 最近疲れ気味なのか、読書のスピードが遅い。中国修学旅行直前に買った「山椒魚戦争」がやっとこさ佳境に入ってきた。次の本を探しに京橋のK書店に寄ったら、凄い本を見つけてしまった。いつも寄る国際関係の書棚にあった有斐閣の本である。ちょっと高い。2300円+税。編者は、峯陽一先生である。峯先生は、『現代アフリカと開発経済学』の著者である。この本は、私が数年前にアフリカ開発経済学を学びだした時に読んだ。いいじゃないか!しかも、先日このブログで推した『アフリカ学入門』の編者、松田クラーセンさやか先生も第14章に寄稿されている。さらにいいじゃないか!と、いうわけで買った次第。9月15日に発行とある。1か月半の間、損した気分である。ちょっと、各章のタイトルだけ挙げてみる。
 第1章 アフリカの歴史から学ぶー人間の「進歩」とは何だろうか
 第2章 アフリカの独立から50年ー内側から見たアフリカの動態
 第3章 アフリカ史と日本
 第4章 アフリカ史を読み解くー女性の歩みから
 第5章 冷戦後の紛争はなぜ起きたのかーアフリカの紛争から学ぶ
 第6章 人道支援や平和構築の智恵ー難民・避難民の視点で考える
 第7章 ルワンダにおける元戦闘員の社会復帰の試みーDDRと和解促進の関係
 第8章 ジンバヴェー「紛争国」の農村で暮らす人びと
 第9章 アフリカ農村再生への道ー「コミュニティ」開発の可能性を探る
 第10章 アフリカ経済は持続可能かー資源、製造業、南アフリカ
 第11章 アフリカの教育と子どもたちの未来
 第12章 エイズとともに生きる人びとーアフリカ的連帯
 第13章 分権化と社会ー東アフリカからのメッセージ
 第14章 変貌するアフリカ市民社会と日本の私たち
 第15章 アフリカに求められている援助とは?

 凄くいいラインナップである。京橋から津田まで、約40分間、峯先生の書かれた序章と第1章を一気に読んでしまった。凄いのである。あまりに凄いので、序章から、ちょっと引用したい。 
 『編者としては、アフリカに関心を持ち始めたばかりの人たちにこそ、アフリカの多面的な魅力をまるごと感じ取ってほしいと願っている。アフリカが好きな人は、アフリカを一方的に変えようとはしないし、アフリカを利用して自分だけが利益をあげようともしない。むしろ自分が出会ったアフリカとの関係を大切にしながら、アフリカ人に自分が感じた事を伝え、変化するアフリカに寄り添い、アフリカの経験から学び、自分の生き方を反省していくはずだ。その結果自分の価値観が大きく変わってしまうこともある。』
 『私たちは、そんな学び、気づき、省察のプロセスに1人でも多くの読者を巻き込みたいと願って本書を編んだ。だからこそ、本書のタイトルは「アフリカから学ぶ」になっているわけである。(中略)それぞれの章のコアにあるのは、「自分はアフリカからこんなことを学んだけれど、皆さんはどうですか」、というメッセージである。』

 凄い文章である。私は、電車の中で感激していた。峯先生の一言一言が胸に沁みる。業界風に言えば、先日推した『アフリカ学入門』は、もの凄く良く出来た教科書であった。この『アフリカから学ぶ』は、そのスタンスから、もう一歩進めた副読本という感じである。第1章に書かれていたことは、私の『高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト』にも載せている内容であった。アフリカ人は我々が考えている以上に、人口密度が低く、広大な大地を比較的簡単に移動してきた。これを峯先生は「遊動」という語で表現されている。…凄い。感激した。マラウイには、「世界をつくるのは人間だ。叢林にはその痕跡がある。」という諺があるという。「遊動」…いい言葉である。アフリカを理解するためのキーワードの1つである。第1章を読んだだけでも、このとおりである。私は、この本にすっかり痺れてしまった。

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