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宗教的には3つのグループに分かれ対立していた。①ローマに復帰という点でメアリーを支持し、実権を握っていた人々。②改革派の立場に立ち職位を剥奪され海外に亡命していた人々。③ローマにもジュネーブにも追随することを望まず、古代教会の普遍性を維持しつつ、中世教会の悪弊を克服した改革を望む人々。エリザベス1世は用心深く態度を明確にしなかった。
やがて、エリザベス1世が選択したのは、カトリックと改革派の両極を排した第三の方向(ヴィア・メディア=中間の道)であった。これが、「エリザベスの宗教解決」と呼ばれる道である。ウィリアム・セシル(画像参照)という穏健な改革派を国務大臣に選び、改革派のマシュー・パーカーをカンタベリー大主教に任命した。メアリ1世の時代に戻らないことを明確にしたのである。流血の惨事を嫌悪していた多くの国民にとっては安心のできる方向であった。
この「宗教解決」の道を神学的に支えたのは、リチャード・フッカーで「教会政治理法論」を著した。聖公会も聖書をもって最高の権威とする点では他のプロテスタント教会と変わらないとしながらも、改革派の聖書至上主義に対して理性と教会の伝統を強調した。神の啓示は聖書とともに自然をも通じて与えられ、人間は神が与えてくれた理性(神の恵みによる)をもって「理性の法(自然の法)」にうかがえる神の意志を知りうる。そして啓示こそが理性を完成すると主張した。聖書に直接啓示されていない事柄については、神から与えられた理性によって定めることができるとした。また、聖公会の統治形態と聖職制度は、聖書が示す神の法にも、人間が理性によって知りうる「自然の法」にももとらず、初代教会の教父たちの合意によって根拠付けられているとし、主教制を擁護した。
…かなり社会契約論のジョン・ロックを想起させる論だが、ロックよりリチャード・フッカーの方が早い。イギリス経験主義を形成する大きな支柱的存在と見て取れるのだが…。
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