名誉革命後のイギリスは立憲君主制の政治的安定と産業革命による繁栄を謳歌したが、経済的格差が拡大し、貧困層が増大し倫理的退廃が進んでいた。そこに現れたのがジョン・ウェスレーである。彼は炭鉱夫、製鉄工、機織、熟練職人、日雇い労働者などに野外や墓地で説教し、罪を悔い改め、キリストにあって生きる信仰を抱くあらゆる魂に完全で自由な救済が与えられるというメッセージを発信した。馬に乗って全国を巡り。その距離は35万キロ、50年間に4万回を超える説教をしたと伝えられている。最後まで聖公会の聖職者であった彼の行動は、聖公会に対抗するためではなく補完的行動であったようで、彼の組織した集会(救いを全うするために、共に信仰の力を求め、共に祈り、勧告の言葉を聴き、愛のうちに見守り合おうとして結ばれた人々の一団と位置づけられていた。)は、罪を犯した人を訓戒する組会、夜を徹して祈る祈祷会、年齢、性、職業の別による班会などが開かれた。
このメソジスト運動は、聖公会に覚醒をもたらした。福音主義者(エヴァンジェリカル)と呼ばれる回心を迫る伝道に力を入れる「ロー・チャーチ」(政治的には、保守的なトーリー党=後の保守党に対抗、ホイッグ党=後の自由党の立場をとった。)、彼らに対抗してオックスフォード運動と呼ばれる知識人の合理主義的神学批判が起こり、労働者階級の生活改善や社会問題にも目を向ける「ハイ・チャーチ=アングロ・カトリック」が生まれた。この両者のともすれば偏狭にさらに走りやすい傾向を排し、工業社会の現実や自然科学の発達に対して開かれた態度をとる「ブロード・チャーチ」(後の労働党につながる)といった党派が生まれ、三者が競合することでその後の宣教(特に英植民地への海外宣教)を進めることになる。
メソジストの歴史的な意義について、同じく学院図書館で借りてきた「イギリス・メソジズムにおける倫理と経済」(内海健寿/キリスト新聞社)には、M・ウェーバーからの引用と次のような考察を加えている。「モンテスキューは、イギリス人について言っている。彼らは三つの重要な事柄で世界のいかなる国民もおよばぬ進歩をとげた。信仰と商業と自由。この三者であると。彼らが営利活動の領域において卓越していたということは、彼らが政治上の自由な諸制度を作り上げていく資質をもっていたということもまた、信仰の最高記録との関連を持つ。」だとすれば、さらに彼らイギリス人が、特にイギリス労働者階級が、メソジズムを受容し、展開していったことにおいても、彼らの信仰の最高記録と親密な関連をもつといわなければならないだろう。
…ここで言われているのは、メソジスト運動が、エンクロージャーで自由な賃金労働者として都市に流れ着いた人々の信仰と倫理(教育といっったほうが適切かもしれない。)を向上させ、労働運動を成立させ、やがてチャーチスト運動において選挙権を獲得させていく歴史的意義を述べていると思われる。もちろん、後発のブロードチャーチ等も大きな意義を持っているだろうが、ジョン・ウェスレーは、まさに”プリマ・ペンギーノ”(最初に海に飛び込むペンギン:先駆者)であったというわけだ。
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